1: Mystery master-
千葉の友達から。
避難所でおじいさんが「これからどうなるんだろう」と漏らした時、 横に居た高校生ぐらいの男の子が「大丈夫、大人になったら僕らが絶対元に戻します」って 背中さすって言ってたらしい。
大丈夫、未来あるよ
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ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人達が寒いから敷けって段ボールをくれた。
いつも私達は横目で流しているのに。
あたたかいです
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ワンワン…ワンワン
俺「はい、もしもし」
自衛隊「おるかーー?」
俺「え…?ど、どちらさまでしょうか…?」
自衛隊「よーし、おるな!いくわ!」
俺「え、え!?」
ガラガラ、ガシャーン
自衛隊「ここやで、トントン(救助ヘリを指で叩きながら)」
自 衛 隊 は 神
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ファミマに行ったら聞こえてきた高校生くらいのDQNぽい男子の会話
「やべー300円も募金しちゃったわw俺の今月残り100円もないわまじやべーw」
「無理すんなよw俺財布に残ってた500円玉募金したから空っぽだわwまじやべー」
ミサワかよwと思ったけど、日本終わってない
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4時間の道のりを歩いて帰るときに、トイレのご利用どうぞ!と書いたスケッチブックを持って、
自宅のお手洗いを開放していた女性がいた。
日本って、やはり世界一温かい国だよね。
あれみた時は感動して泣けてきた
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募金箱の前にて幼稚園位の男の子と母親の会話。
母「貯めてたのに本当にいいの?」
子「3DS我慢する。これで地震の人の家建てる。」
と言いお年玉袋から5,000円を寄付。
母「偉いね。地震の人、これで寒くなくなるね。」
男の子思わず号泣。
後ろにいた私、大号泣
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旦那さんが自衛官の友人より。
以前息子さんが「パパは戦いがお仕事?」と涙ながら聞いてきた事があったそうだ。 誰かの心ない言葉に傷付いたんだろう。
今、息子さんは毎日TV画面に向かい「パパ頑張れ、パパのお友だち頑張れ!」と叫んでるって。
「僕も自衛隊になる!」って。
…通勤中に号泣
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2歳の息子が独りでシューズを履いて外に出ようとしていた。
「地震を逮捕しに行く!」とのこと。
小さな体に宿る勇気と正義感に力をもらう。
みなさん、気持ちを強く持って頑張りましょう
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大事な人が,自衛隊として現地にいます。
24時間で3時間の休憩。
メールで「大丈夫?」と聞いた私に 「そのために訓練してるからな。俺には"無力じゃない"って信じさせてくれる人がいるから,気持ちも大丈夫。」
そう言ってました。
どうか彼らに,もっと強い感謝の意を
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イスラエル人にヘブライ語で声を掛けられた。
困っていたら知り合いのパレスチナ人が通りすがり、通訳してくれた。
「日本は大丈夫か?僕は深く祈るから」と言ってくれた。
パレスチナ人とイスラエル人が握手をしてる笑顔に包まれた。
涙が出た
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ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。
ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて「何だ?」って一瞬思ったけど、 その後その子たちが、避難所の子供たちにお菓子を配っていたところ見て感動。
子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった
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駅員さんに「昨日一生懸命電車を走らせてくれてありがとう」って言ってる小さい子達を見た。
駅員さん泣いてた。俺は号泣してた
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ぜんぜん眠っていないであろう旦那に、「大丈夫?無理しないで。」とメールしたら、
「自衛隊なめんなよ。今無理しないでいつ無理するんだ?言葉に気をつけろ。」と返事が。
彼らはタフだ。肉体も、精神も。
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家屋に取り残され、42時間ぶりに救出された高齢の男性の映像。
「チリ津波も経験してきたから、だいじょぶです。また、再建しましょう」と笑顔で答えていた。
恵まれた環境にあぐらをかいてきたことに直面しなきゃって思った。
私たちが、これから何をするかが大事
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バイト先に若いお兄さんたちが軍団でお酒を買いに来たんだけど、その中の一人が
「やべえ、オレお酒のためにしかお金持ってきてないから募金できん。ちょっとこれ買うのやめるわ」って言って
商品返品してそのお金全部募金してた。
お友達も続々と募金しててすごい感動した。
すごいよ
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東横線の車掌さん、アナウンスで「大変なことになってますが、ここが頑張りどころです。
みんなで力を合わせて乗り切りましょう!」と。
たぶん、マニュアル外だと思う。素敵だ(^^)
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停電すると、それを直す人がいて、断水すると、それを直す人がいて、
原発で事故が起きると、それを直しに行く人がいる。
勝手に復旧してるわけじゃない。
俺らが室内でマダカナーとか言っている間クソ寒い中死ぬ気で頑張ってくれてる人がいる
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都心から4時間かけて歩いて思った。
歩道は溢れんばかりの人だったが、皆整然と黙々と歩いていた。
コンビニはじめ各店舗も淡々と仕事していた。
ネットのインフラは揺れに耐え抜き、 各地では帰宅困難者受け入れ施設が開設され、鉄道も復旧して終夜運転するという。
凄い国だよ。GDP何位とか関係ない
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終夜運転のメトロの駅員に、大変ですねって声かけたら、笑顔で、こんな時ですから!だって。
捨てたもんじゃないね、感動した
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普段電気を無駄遣いしてる俺も今回ばかりは節電することにした
パソコンやテレビの使用を控え、久しぶりに本を読むことにする
手ごろな本が無かったので、これまた久しぶりに本屋に行くことにした
照明や暖房のスイッチを消して自宅を出て、ガソリン節約のために自転車にまたがる
もちろん省エネのために無灯火で
出発だ
途中で用水路に落ちた
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自宅は流されて自分は避難所にいるのに店が大丈夫だったから、って無料でラーメンをふるまっているラーメン屋さん…
日本ってこんなに皆暖かい…日本に生まれたことを誇りに思う
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避難所で、4人家族なのに「分け合って食べます」と3つしかおにぎりをもらわない人を見た。
凍えるほど寒いのに、毛布を譲り合う人を見た。
きちんと一列に並んで、順番を守って物資を受け取る姿に、日本人の誇りを見た
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亡くなった母が言っていた言葉を思い出す
「人は奪い合えば足りないが分け合うと余る」
被災者で実践されていた、この国の東北関東地震被災者の方々を、 日本を誇りに思います、頑張ってください
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会社の中国人留学生のアルバイト。
中国大使館から迎えがきて「強制退去」。
数時間後、彼らが戻って来た。
みんなで「なぜ?」。
彼らは「強制退去ではなく希望者を迎えに来ただけでした」と。
でも「なぜ?」。
彼らは「私たちは仲間です。ここで一緒に頑張ります」。
社内は歓喜、そして号泣
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一回の青信号で1台しか前に進めない中、譲り合い穏やかに運転している姿に感動した。
交通が5分以上完全マヒするシーンもあったが、10時間の間お礼以外のクラクションの音を耳にしなかった。
日本がますます好きになった
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昨日の夜中、大学から徒歩で帰宅する道すがら、
とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパン配給していた。
こんな喧噪のなかでも自分にできること見つけて実践している人に感動。
心温まった。
東京も捨てたもんじゃないな
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物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律義に拾い、
そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。
運転再開した電車で混んでいるのに妊婦に席を譲るお年寄り。
この光景を見て外国人は絶句をしたようだ。
本当だろう、この話。すごいよ日本
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- 暗すぎて今までに見たことないくらい星が綺麗だよ。仙台のみんな、上を向くんだ
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- 音楽を自粛して電力を節約する者、音楽で募金を促す者、両方正解やと今 分かった。両方同じ気持ちや
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「良平! 」「大丈夫か! 」。自分を呼ぶ声が遠くで聞こえ、目を覚ました。
なぜ呼ばれたのか、どこにいるのか、何も分からなかった。
辺りはただ真っ暗。身動きができなかった。
「ここにおるよ! 」。力いっぱい叫んだが、相手に届いたのかどうか。
すぐに意識を失った。
平成7年1月17日午前5時46分。
当時、小学3年生だった陸上自衛隊第3特殊武器防護隊所属の安藤良平陸士長(22)=兵庫県伊丹市=は、神戸市兵庫区中道通で被災した。
自宅のあった3階建てのマンションは全壊。 中道地区は倒壊家屋が多く、犠牲者は70人以上に及んだ。
3階の一室に家族4人で住んでいた安藤さんは、崩れ落ちたがれきの下敷きになった。 けがはなかったが、倒れかかったタンスと壁の隙(すき)間に入り込み、救助されたのは発生から半日以上経った午後6時前。
避難所となった近くの小学校で、父親の政弘さん(52)に抱きかかえられていたとき、ようやく意識が戻った。
地域住民らが身を寄せ合う真冬の小学校。
ビニールシートと木材で校庭に建てられた仮の住まいで約3カ月間、避難生活を送った。 その間、相手をしてくれたのは、避難所を毎日訪れる若い自衛隊員だった。
隊員はときに遊び相手になり、話し相手になってくれた。
来るのは昼過ぎの給水時間。
生活再建の悩みなどで重苦しい雰囲気の避難所で、隊員は優しく、頼もしい「お兄ちゃん役」だった。
そんな自衛隊員が「命の恩人」だと知ったのは、約2年後の小学5年生のころ。
半日以上も意識が戻らなかった息子を心配してか、震災のことをほとんど語らなかった父が教えてくれた。
発生直後、政弘さんら3人は外に飛び出したが、安藤さんだけが室内に取り残された。
室内は壁が崩れ、天井がゆがみ、タンスが倒れていた。
政弘さんは「助かってほしい」と祈るしかなかった。
そのとき、駆け付けた隊員が、かすかに聞こえる声を頼りに安藤さんを助け出したという。 苦しい時に手を差し伸べてくれる頼もしい人。
避難所の優しいお兄ちゃんと命の恩人がひとつに重なったとき、安藤さんは自衛隊員になると誓った。
地元の高校を卒業後に入隊。
訓練は想像以上に厳しかったが、「人を助ける人間になるには必要」と言い聞かせた。
配属先は、放射能汚染や洪水災害後の防疫、消毒作業などを行う化学科を希望。
危険な仕事だが、困った人を真っ先に助ける職種に思えたからだ。
今春で自衛隊員になって丸4年になる。
各地で地震、水害が頻発するが、災害現場への出動経験はまだない。
それでも日々の訓練を通し、1人の被災者を救助することでさえ難しいことを知った。 責任の重さも痛感している。
知人に自衛隊員になったと言うと、必ず「頑張れ」と励まされる。
13年前の自分と同じように、自衛隊員に助けられた被災者は多い。
「がれきの下から助け出された自分だからこそ、いまの仕事に生かせることがあるはず」と話す。
震災から間もなく13年。
うれしい知らせも届いた。
救出してくれた隊員が見つかり、16日午後、自宅跡地で再会するという。
そのとき、こう伝えたいと思っている。
「あなたと同じ自衛官になりました」
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