- 今回は過去にネットで投稿された硫黄島での心霊体験をまとめてみました。
この地ではアメリカ軍と日本軍の壮絶な戦いが繰り広げられ多くの犠牲者を出した場所でもあります。
そして、硫黄島には今もさまよい続ける兵隊たちの霊を見るなど怪奇現象が続出する場所でもあるようです。
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硫黄島調査を終えて帰ってきた隊員が硫黄島の石を記念にと持ち帰ったらしく、それから挙動がおかしかったんだけど、
通常、硫黄島調査で帰る時は島の物を持ち帰ってはいけないんだけど、何処かに忍ばせてたらしく
その後行方不明になった、 その一週間後に静岡にある風穴でスーツ姿でI体で見つかった。
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俺が2年前に、自衛隊基地施設建設の為に硫黄島へ6ヶ月間行った時の話。
数か月ものあいだ島に閉じ込められると、自然と顔見知りの隊員さんが出来て、 色々話すうちに、硫黄島の心霊現象なんかの話題になることがあるんだ。
隊員さんの話では、争いの後~平成にかけて硫黄島の心霊現象は壮絶なものだったらしい。
夜中に行進する兵隊なんかは当り前で、 中には夜な夜な水を求めて徘徊する黒焦げの兵隊や、 窓の外に体の一部が無い兵隊が恨めしそうに見ていたりってのが毎日あったんだと。
恐らく彼らの中では争いはまだ終わって無かったんだな。
だけど、平成6年2月に天皇陛下が硫黄島を訪れた際に、 慰霊碑に鎮魂と、日本を守る為に命を犠牲にして戦ってくれた事への感謝の意を捧げると、 その日を境に幽霊がピタリと出なくなったらしいんだ。
まあこの辺はよく聞く有名な話だよ。
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隊員さんから心霊現象の話を聞いた夜、自室で布団を頭まで被って寝てると、誰かが揺すり起こしてきたんだ。
寝たばかりで辛かったからシカトして寝ようとしたら、今度は激しく体を揺すってきた。 そして、さらには「おい!朝だぞ!!いいかげん起きろ!!!」と怒鳴る声。
そんなはずはないと思いながらも薄目を開けると、確かに布団の隙間から朝日が漏れていた。
今日は全然寝た気がしないなぁ~なんて思いながら体を起こすと、恐怖で体が固まった・・・夜なんだよ・・・
もうさ、部屋も外も真っ暗で、 普段は五月蠅い同僚のイビキも、虫の音も、風の音も聞こえない無音だし、 起きる瞬間まで体を揺すってた奴もいない。
体中に鳥肌がブワーーって立って、混乱と恐怖で頭ん中いっぱいになっていると、 ドアの前に、暗闇よりもさらにもう一段階黒い人型のシルエットがあったんだ。
俺がその黒い人型に気付くと、そいつが一歩前に出て、 「何をしている!!さっさと支度をせんか!!!バカ者!!!」とハッキリと聞こえる怒声がした。
その時に気を失ったのかわからんが、気が付いたら朝で、 相部屋の同僚が心配そうに、 「なんか、メッチャうなされていたけど大丈夫??顔も青いし、体調悪いなら今日は休めば?」って言ってきた。
たしかにフラフラするし、体調悪かったから、一日布団の中で過ごすことに。
布団の中で昨夜のことを思い返すと、怖いってより何か切なくなった・・・
米兵、日本兵問わず、彼らの争いは何時終わるんだろう・・・(硫黄島ではもちろん米兵の幽霊も出る)
建設中に未だにあちこちから出てくる人骨や遺品、 こんな状態じゃ、おとなしくなることはあっても成仏はしないな・・・とか、 今の俺たちは彼らの命の上に立つ価値があるのか??とか、色々考えさせられてな。
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一般の人は立入禁止になってるが俺は6年とちょっと前まで硫黄島で某自衛隊で整備士として滑走路の整備など仕事をしてた。
元々青森県民の俺は地元で気楽に一生を楽しめる仕事は、自衛隊しかないと思って入隊。
5年目で移動先希望で
1,大湊
2、八戸
3、硫黄島
って書いた。
3に硫黄島と書いたのには理由はない。
けど自衛隊では硫黄島に行く人は手当等がが良いため、借金がある人は飛ばされるという噂が結構あって話題にはなる。(笑)
二ヶ月して上司に硫黄島に行けるぞ。・・・と言われた。(まじかよ)
硫黄島は雨水タンク以外真水が無く生活は非常に辛いと有名だったため現実を前にかなり沈んだ。
ソレに硫黄島に行ったことのある上司があそこは基地内外で適当に土掘れば骨出てくるからね~とか、天気のいい風のある日は滑走路に骨が飛んでくる事がよくあるそうだ。
この島に来て嫌なのが週に2~3回ある金縛り。
ソレに私が来てから夜中に国旗掲揚時に流れる音楽が隊舎に流れてびっくりする事が暫しあった。
しかし、びっくりするのは私だけで他の人達は部屋のスピーカーを小にしてまた寝るのである。
ある休みの日、天気もいいし島の中を散歩に出かけた。
俺は上司が言っていた適当に土を掘って骨が出るのか試した。そしたら2~3分で片手に余るぐらいに骨が出るのである。
そして頭部の骨も出てきた。その後タイミングが良く上司が来た。
上司は「その骨は◯◯のだな。よく見つけてくれた。これで皆揃った。」
・・・・・・◯伍長。無事任務を終えました
その骨をDNA鑑定した結果メモ帳に書いてある通り◯◯さんという硫黄島で亡くなった方で無事遺族に届けられ、このメモ帳は大切に硫黄島の隊舎に保管されてるのだという。
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硫黄島勤務になった自衛官に、霊感が強い人がいました。
ある夜、その方がむくっ!と起き上がり、フラフラと外へ。
同室の方が声をかけるも反応無し、まるで夢遊病者のように歩き続け、あるところでばったり!と倒れたそうです。
意識が回復してから、何があったのか尋ねると、「誰かに呼ばれた気がする……。」と。
その方の霊感ぶりは有名だったこともあり、倒れた場所を掘ったところ、遺骨が見つかったそうです。
その霊感青年以外にも「呼ばれた」隊員により、何柱かのご遺骨が見つかっています。
外来宿舎に、金縛りやポルターガイスト等、必ず怪現象が起こる部屋があります。
私たちが行った時、人数の都合で、自分ともう一人がその部屋に泊まることになりました。
怖いのが嫌、というより、亡くなってまで苦しんでいるのではと思い、詳しい作法などは知りませんでしたが、 きっと喉が乾いただろうな、甘いものが欲しかったかな、お酒が飲みたかった人もいたかな、と、本土から ミニボトルの日本酒、 六甲水のペットボトル、飴玉を持っていき、窓の下に盛り塩と一緒に供えて
「暫くこのお部屋をお貸しください。もしも、本土に戻られたい御魂がいらっしゃったら、窮屈かと思いますが、この中にお入りください。 皆様の故郷にお返しすることはできませんがこの半分を○○県の△川に流します、半分は、こちらに置いていきます。」
と、念じました。心配されていた、私の部屋では何も起こりませんでした。
が、夜中、隣の部屋から悲鳴とガターン!という騒音が。
聞くと、ベッドを下から蹴られたような感触があり、一瞬浮いたようだったとか。
明かりをつけると、ベッドの位置が、引きずった跡もなく、思い切りずれていました。
それから後、夜は何事もありませんでした……。
医務科壕という、傷病者を治療するための壕に案内された時のことです。
入り口にポトスが自生する、一見のほほんとした場所なのですが、硫黄島戦では、足の踏み場もないほどに傷病者が寝かされ、本土からの援助も絶え、満足な治療も受けられず亡くなっていった方が多かったそうです。
医務科壕は天井が比較的高めでT字型に掘られており、他の塹壕よりも少し開放的な雰囲気がありました。(他の塹壕の殆どは地中に掘られており、地熱でサウナ状態です) 「ここから雨水を取り、ドラム缶に貯めていた」等の説明を受けていた時、足元の方から、苦しいような、熱いような、閉塞的な感覚が伝わってきました。
「ここ、地下があった、なんてこと、ないですよね?」試しに尋ねてみたところ、説明係の海曹がぎょっとした顔で「地下があったらしいと聞いています。」と。
……下に降りる階段が見つからないのだそうです。今も。
他の壕では「平成○年○月、調査ここまで」と書かれた紙が貼られていて、その先が落盤している場所などを目にしました。
遺骨収拾も、まだまだ進まないようです。 横須賀の教育隊に行たとき、所属していた隊の分隊士が語ってくれた。 分隊士の同期の人が硫黄島に行ったときね、お供え物の一品としてタバコが置かれてあったんだって。
そのタバコを、その同期の人は失敬してもらっちゃった。
まぁ、まだ硫黄島に着隊したばっかで間もないし、軽々しく考えてたんだろうね。
その夜、その同期と一緒の部屋で寝ていた隊員は、隣から聞こえる呻き声がうるさくて目をさました。
案の定、タバコを失敬した同期がうなされてる。そいつを起こして何があったか聞いたところ、 「寝ていたら急に胸が重くなって、目を覚ました。そしたらさ、軍服を着た日本兵が『俺のタバコを返せ』って口の中に手を入れてきた」と真っ青な顔で答えたとのこと。
戦地とは比べ物にならないけど、俺も山にこもって数ヶ月訓練してたから分かる。
異性の居ない山奥で、自由を剥奪されて体を酷使する毎日。
嗜好品は唯一の慰めだね。
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有名な硫黄島に関する話。
元自衛隊に聞いたが硫黄島はガチだってな いろいろ聞いたわ
海外の様で海外ではないが
戦場の怪談
太平洋争いにおける日本軍は広大な地域に大量の軍を派遣しており、争い後期は 拡大しすぎた地域への兵站は伸びきり、戦局の悪化に伴い物資の補給もままならない状態が続いた。
兵士達は、食料などを現地調達せざるを得ない状況であった。
戦場における怪談の中でも、硫黄島では未だに心霊現象が絶えないと聞く。
硫黄島の戦いとは、1945年2月19日から3月26日までの、約一か月における戦いであり、 日本軍は栗林中将以下、ほとんどの兵が玉砕して果てた。
硫黄島における日本軍の戦法は巧妙であり、地下30メートルの場所に、 長さ18キロにも及ぶ地下壕で結び、今までに例のない粘り強い戦いを繰り広げた。
米軍は当初5日間でこの島を落とせると見ていたが、思いの他の激戦となった。
更に地下壕内では高温多湿で絶えず硫黄が沸いており、飲料水が絶えず枯渇していた。
おまけに、40度にも達する暑さの中、日本軍兵士達は劣悪な環境の中を戦ったのである。
日本軍守備隊2万2千786名に対してアメリカ軍は11万の兵力を投入し、 アメリカ軍は2万8千686名の死傷者を出し、日本軍の死傷者1万8千375名を上回った唯一の戦線であった。
硫黄島は争いの後、アメリカに管理されていたのが1968年に日本に返還された。
だが、日本兵の遺骨収集は手付かずの状態であり、洞窟内では無数の 日本兵の遺骨が争いの終わり時の状態で残っていた。
彼等が使っていたベッドや注射器なども、そのままの状態で残されていたと言う。
現在でも硫黄島には1万2千以上の兵士の遺骨が眠っていると聞く。
同島が日本に返還後に、現在は海上自衛隊と航空自衛隊の基地が置かれているが、 民間人の立ち入りは禁止されている。
そんな硫黄島は、夜になると霊の支配する島となると言う。
昼夜を問わずに聞こえる行軍の音は有名であり、 戦死した日本兵が集団となっては自衛隊兵士が眠る宿舎の窓の外に立っているのだそうだ。
中には体の一部がない兵士や焦げた状態の兵士などの姿も見られるとのことである。
自衛隊員は慰霊碑の水を毎日取り替え、更に宿舎ではコップに水を入れて毎晩置くそうである。
そうしないと「水をくれ、水をくれ」と言いながら日本軍の霊が宿舎内に入って来てしまうのだと言う。
また、硫黄島からは一粒の砂すら内地に持ち帰ることを禁止していると言われている。 以前、小石を記念に持ち帰った自衛官が変死したり病気になるなどの事件が相次いだそうである。
それから硫黄島の砂には生きて帰れなかった日本兵の血が染み込んでいると信じられる様になり 内地に戻る自衛官はズボンに付いた砂すら、全て払い落とす習慣がついたのだと言う。
それでも、内地に帰りたい兵士の霊が自衛官に憑いて来るのだという。
そんな場合、内地に向かう途中に自衛官は激しい頭痛や肩こりなどが続くが 内地に着いたとたんに痛みは消えてしまうのだと言う。
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