未成年に死刑判決が下された凶悪犯罪
関光彦は元々が相当なワルで暴力・盗み・などは当たり前ケンカ用にナイフや警棒などを持ち歩いているほどだった
母や弟などは容赦なく殴り、祖父の金を盗んだ時にはそのことで怒った祖父に逆に腹を立て祖父の顔面に蹴りを入れて祖父を失明させたこともある
そんな彼が市川一家を地獄に落とした行動を順を追って説明していく
幸せの生活に見えたが・・・
18歳の時、千葉県船橋市内で一人暮らしを始める。 同年10月25日、市川市内のフィリピンパブでホステスをしていたエリザベスという女性とフィリピンで結婚する関関19歳の平成4年、凶行は実行された
事件の発端となった出来事
平成4年の2月6日、関が市川市のフィリピンパブの顔なじみのホステスを連れ出し自宅に二日間監禁したことで始まった
2月8日、二人のホステスは泣きながら店に戻り、関に監禁されたことを経営者に報告する
怒ったパブの経営者は知り合いのヤクザに関の落とし前をつけてくれるように頼みこの日から関はヤクザに追われることとなる
運命の日
2月12日「15歳の少女」はこの日、関光彦に出会ってしまう
光彦は買い物帰りの少女の自転車にわざと車をぶつけ、車で病院に連れて行った後、自宅に送ってあげるふりをして自分の家に少女を連れ込み監禁し暴行した
その際、少女の生徒手帳から名前と住所を書き写し誰にもしゃべるなと脅しをかけた
ヤクザの追い込み
もし関がフィリピンパブのホステスを監禁してなければこの事件は起きなかったかもしれない少女を襲った夜、関は暴力団組長から呼び出しをくらいホステスを監禁した件で売上損失分と慰謝料として200万円払うように強制される
翌月の3月5日、ヤクザの追い込みは日々激しくなり関は15歳の少女の名前と住所のメモを思いだし金を強奪することを思いつく
平成4年3月5日午後5時
光彦はその少女一家が住むマンションに押し入る※1人目の犠牲者
マンションにいたのは少女の祖母(83)一人だけであった
光彦は通帳を出すように迫ったが拒否されたため祖母の首を電気コードで絞めて殺害
※2人目の犠牲者
関はマンションにとどまり家族が帰ってくるのを待つ そして2時間後、15歳の少女と母親(36)が帰宅
母親を包丁で脅し背中を何度も刺す。関は15歳の少女に血で汚れた床を掃除するように命令する
※3人目の犠牲者
ほどなくして4歳の妹が保母さんに連れられて保育園から帰ってきた
関は15歳の少女に夕飯の支度をさせて3人で食事をする
夕飯を食べた妹はお婆ちゃんと寝るといい遺体の横で眠りについた
そして、父親が帰ってきた
関はいきなり父親の左肩あたりを包丁で刺し「現金でも通帳でもいいから200万出せ」と叫ぶ
父親は家族を守るため通帳と印鑑の入った引き出しを教えた
口座に入っていたのは銀行と郵便局を合わせて約360万だが関は欲がでてもっとあるだろうと父親をさらに脅した
父親「会社の事務所に通帳と印鑑がある」
関は少女に父親の会社に電話をさせ通帳と印鑑を取りに行くことを伝えた
少女は会社につくと心配する父の同僚たちに関のことは喋らずに家族を守るためにウソをついた
「ヤクザがお父さんの記事が悪いと言ってお金を取りに来てるんです。通帳と印鑑があれば何とかなるからって」
少女は急いで家に戻ると父親の命はすでに絶たれていたのだった
関は少女より少し前に家についており父親にとどめを刺したのだった
※4人目の犠牲者
家の電話が鳴った
父親のことを心配した同僚たちが電話をかけてきたのだ
少女は一度電話に出るが「余計なことを話すな!」と関に切られてしまう
怒鳴り声にビックリした4歳の妹が泣き始め関はイライラしだした
そして妹の背中に包丁を突き刺したのだった
逮捕
関は少女に妹にとどめをさせと命令するがあまりの怒りに初めて抵抗した
しかし逆に背中や腕を切られてしまいもう終わりだと思った瞬間、 家のドアは勢いよく開き警察隊が突入してきた
事務所の同僚が警察へ「様子がおかしい」と通報し急行した警察官が外から様子をうかがい事件が発覚し逮捕へ踏み切ったのだった
14時間におよぶ犯行
少女には毛布がかけられ救出されたが、祖母・母・父・妹の命は奪われてしまった関は逮捕後も「楽勝でしょ!」など未成年を理由に自分の刑も軽いものと信じ込んでいたが結果はまったく違ったものとなった
平成6年8月、千葉地裁が下した判決は死刑であった
関は上訴するが高裁、最高裁ともに上訴を棄却し平成13年12月、死刑判決が確定した
未成年であれば、どんな凶悪犯罪でも少年院で済むと思っていた関は自分も地獄を見ることになったのだった
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