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事件背景


2001年6月8日の午前に大阪池田小学校に児童たちの叫び声が響いた。 当時37歳の宅間守が包丁を持ち学校へ侵入し、担任が不在だった教室へ入りこみ次々と児童たちを刺していった。

また隣の教室では教師が黒板に向かっており児童たちの方を向いていなかった。宅間はその隙に3人の児童に刃物を突き付けている。

児童たちの悲鳴が大きくなり宅間の存在に気がついた教師だが、ともかく警察へ通報する為に職員室へ駈け込んだ。

宅間はその間にも6人の児童を傷つけており、教員と児童を合わせると合計で23人もの人間を刺しているのである。 そのうちの8人の児童は亡くなり、助かった児童も大きな心の傷と後遺症に今なお苦しんでいる。

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幼少の頃の宅間守


宅間は幼少の頃から乱暴で悪行を働いてきた。小学校の頃には動物を捕まえて新聞紙に包み火をつけるなど考えられないほどの残虐性の一面ものぞかせている。

宅間が小学6年になると大阪池田中学の受験に望もうとするが、模擬試験の結果も悪く断念している。この受験が出来なかった思いが後の池田小学校事件へ発展していくことになるのだった。

宅間が中学生になると次に彼の中に目覚めたものは暴力だ。 家族に暴力を振るい始めており高校へ上がるとその行為はますますエスカレートし教師まで殴るようになる。

宅間はこの一件で高校を中退することとなり荒れた生活を始めるが、20歳の頃には父親をスコップで殴るという凶行な行為にでる。

最終的に宅間は21歳で家族に絶縁され、暴力的な性格はますますひどくなっていった。宅間の性格は二重性もみられ、犯罪を起こし逮捕されると精神病のフリをして何度も誤魔化すようになっていく。

また、金銭面の問題もあり年上の女性たちを騙し養子縁組や結婚をするが暴力的な性格は変わることなく何度も絶縁されている。

宅間の3人目の妻となった女性は離婚後に何度も復縁を迫られるが断固として拒否。これが最終的に宅間の心を悪魔にしてしまった。

自分の人生に絶望した宅間は全ての事を周りの人間のせいにして多くの人に苦しみを味わわせてやろうと考えたのだった。

そして、その舞台となったのがエリートの通う小学校であり、罪のない児童たちだったのだ。

宅間は逮捕後も児童たちに対して謝罪する気持ちもなく、法廷でも遺族たちに暴言を吐いている。また、判決の言い渡しの際にも裁判官へ暴言を吐き退廷を命じられる。

全く同情の余地もなく宅間にはシ刑の判決が出され、戦後では史上で最も早いと思われる期間で刑は執行された。

宅間一家のその後


宅間には兄が一人居たが弟の存在に心を病んでしまい、起業の失敗と偽って小刀で首を斬って40代前半の時自札している。

母親も長期に渡って心を病み精神病院に暮らしの日々となり2016年末に亡くなった。

父親は事件後に酒乱となり入院しておりその後の安否は確認されていない。

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