
- 1: 2010/09/10(金) 15:24:41 0
- 世界史関係の本を読んでて、幽霊とか怪生物の目撃情報とか猟奇事件について
記述があったら書き込むスレです。
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17歳上の姉ちゃん「私ね…実はあなたのお母さんなの」俺「は???」
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- 2: 2010/09/10(金) 15:28:39 0
- 例えばこんなのとか
アテナイに幽霊の出る家があった。哲学者のアテノドルスが借りて住んでいた。
足に鎖、手に枷をはめられた幽霊が出て、ついてこいという身振りをした。
ついて行くと中庭まで来て、消え失せた。家主の許しを得て中庭を掘ったところ、
出て来たのは鎖に縛られた骸骨であった。葬儀をした後、幽霊に悩まされる
ことはなくなった。
(小プリニウス『書簡集』) - 4: 2010/09/10(金) 19:34:52 0
- ある放埓な男が、妻の不貞を暴くべく梁の上にいたところ、転落してしんだ。
キリスト教徒として正しく葬られたのだが、生前の行動により益無かったものか、
悪魔の力により、夜毎に墓から出てさまよい歩く様になった。
かくして街中では犬の吼ゆる声が止まることなく、家々も閂を鎖して外には出ぬ
様にしていたが、それも効果は無かった。
それというのも、この男が歩いた後には、疫病が流行したからである。
その後、疫病で親族を失った兄弟が墓を暴いたところ、ほんのわずかな土の下か
ら男の死体が現れた。
体はふくれ、頬は赤く染まり、まるで生前の如し。
何人の血を吸いしやと、はっしと鋤で以って首を落とすや、鮮血が飛び散った。
かくして、さしもの疫病も止むに至ったという。
(『イングランド事件史』1196年)
12世紀頃のイングランドの記録には、東欧の「吸血鬼」伝承と共通した記事が
多く、近世以降の記録ではもっぱら東欧に限られた伝承が、この地域にも分布
していた時代があった様です。 - 7: 2010/09/10(金) 20:58:10 0
-
>>4
平賀英一郎の「吸血鬼伝承」でも採り上げてたね。
スラヴ人の特殊文化というより、もともと汎ヨーロッパ的にあった「不浄のシ者」が
カトリック圏での「煉獄の発明」などにより東方正教圏でのみ
生き残ってたのではないかと・・・
カトリックの古い「贖罪規定書」にはこんなのもあったらしい。
- 36: 2010/09/16(木) 04:17:52 0
-
>>4
「赤死病の仮面」みたいな話だな - 5: 2010/09/10(金) 20:10:00 0
- 東晋の桓温が尼さんを家に泊めた。尼さんがやたら長風呂するので
桓温が覗き見すると、尼さんは刀で自分の腹を割いて内蔵を取り出し、両足を切り取った。
「どういう事ですか」と桓温が問うと、尼さんは「帝位を奪うとはこういう事ですよ」と答えた。 - 6: 2010/09/10(金) 20:50:30 0
-
>>5
『晋書』桓温伝ですね。
杉浦日向子先生が、翻案しておいででした。 - 113: 2010/10/08(金) 13:00:13 0
-
>>5
こういう事ってどういう事ですか? - 115: 2010/10/11(月) 21:29:07 0
-
>>113
自らを滅ぼすってことでは?
- 9: 2010/09/10(金) 22:02:32 0
- プロコピウス『戦史』にある話
ユスティニアヌス帝の治世に、コンスタンティノープル周辺の海域に
「ポルフィリオス」と呼ばれる海の怪物が50年近くもの間出没し、
航海する船に近づいては沈没させたり安全な航路から外れたところまで
押しやったりしていた。
皇帝は威信をかけてこの怪物を討伐せんとしたが、どんな手段を尽くしても
ポルフィリオスを捕らえることはできなかった。
そんなある日、一頭の巨大なクジラが浜に乗り上げた。
人々はこれぞ例のポルフィリオスだろうといって、ロープでクジラをさらに
陸へと引き上げ、肉を切り刻んで分配してしまった。
しかし、ある人々はこういっているとプロコピウスは記す。
「あれは本当にポルフィリオスだったのか?」と。
なんですかそのホラー風の〆方は・・・ - 10: 2010/09/10(金) 23:00:22 0
-
>>9
普通に鯨だったんじゃないの?
船を見るとじゃれついてきたりするらしい - 11: 2010/09/11(土) 00:33:34 0
-
>>9
>「あれは本当にポルフィリオスだったのか?」
「あれが最後のポルフィリオスだとは思えない。やがて第二第三のポルフィリオスが…」
だと古式ゆかしい怪獣映画のエンディング。
やーすーらーぎーよー、ひーかーりーよー。 - 12: 2010/09/11(土) 01:13:28 0
- ククク、ポルフィリオスは我ら鯨の中でも一番の小物・・・
- 13: 2010/09/11(土) 14:50:13 0
- ケルン司教区のシュタムハイムという村で起こったことである。
騎士が二人住んでいて、一人はグンター、今一人はフーゴーと言った。
グンターが十字軍に出かけていた時のある夜、就寝前の用を足させるため
召使が子供たちを中庭に連れ出した。すると、囲いの外から白衣を着て
顔色も青ざめた女の形をしたものがじっと彼らを見つめていた。
何も言わなかったが、姿を見ただけでぞっとした。そのものは垣根を越えて
隣のフーゴーの地所へ行った。
数日後グンターの長男が病気になって、こう言った。
七日目に僕はしぬ。その次の七日目に妹のディナリがしぬ。もう七日すると
下の妹がしぬ。全部その通りになった。そればかりか、子供たちの後を追って
母親も、上述の召使もしんだのである。同じ頃、隣の騎士フーゴーとその
息子もしんだ。これはわが副院長ゲルラック師から聞いた話である。
(ハイステルバッハのカエサリウス『対話』) - 301: 2010/12/28(火) 01:51:33 0
-
>>13
大体夜中の白衣着た女って幽霊の定番だけど、
実際のところ女が白い服着て夜中に国道とかに突っ立ってたらどんな感じなんだろ?やっぱ怖いもんなんかな?
あんま露骨にそれっぽい格好してると、肝試しかテレビのロケでもやってんのかなってなりそうだが。 - 302: 2010/12/28(火) 12:24:24 0
-
>>301
なんか、1980年代に口さけ女伝説が流行っていた頃、
友達を驚かそうと、白い着物を着て、長い髪を解いて、口紅でメーキャップをして
夜の国道を歩いている女性がいて、 警察に通報されたという笑い話があるらしい - 14: 2010/09/11(土) 16:45:52 0
- うむ。不思議だ
- 16: 2010/09/11(土) 21:59:57 0
- トマス・ウォルシンガム『イングランド史』にある話
1379年の秋、アランデル伯の弟ジョン・アランデル卿が、配下の兵を
引き連れてとある尼僧院へとやって来た。
卿はブルターニュへ渡るため、ここでしばらく逗留したいといった。
院長は、アランデルが連れて来た武装した若者の数があまりに多いのを
恐れたが、渡航者へ宿を提供するのがその尼僧院のつとめであったので、
やむなくそれを許可した。
だが、風向きはいつまでも変わらず、出港はいつになるか見当もつかなかった。
退屈を紛らわすため兵士たちは酒を飲み、尼僧をからかい始めた。
尼僧たちは宿坊に鍵をかけて閉じこもったが、兵士たちは怒りに任せて扉を破壊し、
中にいた尼僧をつぎつぎと犯した。
尼僧院は兵士たちによって略奪された。彼らはまた近隣の教会へ向かい、聖杯や
銀器をことごとく盗んだ。そこで結婚式の行列に出くわすと、彼らは剣を抜き、
花嫁を強奪して屈辱を与えた。
兵士たちはその女とできる限り多くの尼僧を船に乗せて出港した。一日かそこらの
後、東から大嵐が吹きつけてきた。アランデルは船を軽くするために女を全員
下ろせと命じた。
六十人ばかりの女が荒れ狂う海に投げ込まれ、船はアイルランドへ 向かった。
やっぱり一番怖いのは人間。 - 17: 2010/09/11(土) 22:10:34 0
- うわあ、オチがつかないのかw
- 19: 2010/09/11(土) 22:41:21 0
- 天福2年(1234)のことである。
時の帝である後堀河院は、先ごろお産が元で中宮と御子を失われ、意気消沈
しておられたが、その日は法勝寺の法華講に出席されていた。
法勝寺といえば、九重大塔で有名な寺である。
寺へ到着された後堀河院は、唐様の見事な塔を見上げられた。
すると、ありうべからざるものが見えた。
普段は人の立ち入らぬ筈の塔の下から三層目に、人の姿が見えたのである。
しかも、この日は行幸があり、見下ろす者のあろう筈もない。
更に付け加えると、その人とは、崩ぜられた中宮であった。
後堀河院は、傍に控えていた摂政に、「あれが見えるか」とお訊ねになった。
すると、摂政の目にも見えるということ。
しかし、他の人間には、誰に訊いても見えはしなかった。
この後しばらくして、後堀河院は崩御された。
(『五代帝王物語』より) - 20: 2010/09/11(土) 22:54:58 0
- 日本だと、「吾妻鏡」に謎の生物の記述があったような気が
「人間の死体のような魚」が打ち上げられたとかいうよく分からない記述だった - 21: 2010/09/11(土) 23:03:23 0
- それまごうことなき人間の死体じゃね?
- 40: 2010/09/16(木) 22:23:28 0
- 大内裏の中の松原で女のばらばら死体があって
しかも食い散らかされていたというのが六国史のどれかにあったような。
鬼に食い頃されたと噂されたそうな。 - 43: 2010/09/16(木) 22:52:53 0
- 『大鏡』で一條天皇即位の大礼の直前に
高御座で血糊のべったりついた生首が発見されて
藤原兼家が揉みつぶした話。
初めて知った時、札人、穢れを忌むはずの王朝貴族でも
意趣晴らしにそんなことするんだなと思った。
犯人は花山天皇の関係者か。
被害者は多分全く無関係の名もなき庶民だろうけど可哀想。 - 44: 2010/09/16(木) 23:22:37 0
- 遺棄葬が主流だった時代ですからね
(京では室町にほぼ止むが、地方では明治まで続く)。
その辺の死体だったのかもしれません。
犬が頭をくわえて来た、鳶や烏が手足を……という話も、よく聞かれました。
穢れというのは、その場で着席して伝染するものとされていました。
産穢なら七日、死穢なら三十日、間接的なものなら……と細々とした規定あり。
手に提げて運ぶだけなら、穢れは移りません。
人の手による嫌がらせなら、その場にいなかった人物が怪しいですね。
穢れというのは、極論すれば神に参れなくなる状態のことですが、平安後期の公家の日記 に、知らなければよかったという一節があり、知らない場合は免除されたのではないかと いう気が致します。
この場合の兼家も、わざと聞かなかったふりをしたそうですから。 - 45: 2010/09/16(木) 23:51:04 O
- 晋書劉聡載記に気味悪い話が…
巨大な肉の塊が落下し、その周辺に泣き声がしていて昼夜やまなかった
皇后劉氏が蛇と猛獣を産み、これらは人を害しながら逃亡して行方不明となり、その後肉塊の傍らで見つかった
突然劉氏が死亡し、肉塊は消え失せて泣き声も止んだ - 46: 2010/09/17(金) 06:46:46 0
-
>>45
中国の怪異譚は因果関係がよく分からなくて怖いのが多いね
当時の人間には解読?できたのかもしれないけど
オカ板の怖い話にも過去の世界の因縁のコードを理解
できないことによる恐怖というのが多いような気がする - 47: 2010/09/18(土) 02:03:09 0
- 中国の南北朝時代正史って、結構オカルティっクな話が多いよね。
太宗の趣味だったのかもしれん。 - 87: 2010/09/28(火) 12:15:38 O
- またまた晋書
諸葛長民伝より
長民が富貴となった後、ひと月のうちに十数回も眠っていたところを飛び起きて人と組み打つような動作をした。
毛脩之がかつて同宿した際にこれを目撃し、驚いて理由を問うた。
長民が答えて言った「真っ黒で毛が生えた物がいるのが見えるが、我でなくては制することができないのだ」
屋内の柱の間から蛇の頭が出てきた為に人に刀で斬りつけさせたが、蛇は刀が近づくと引っ込み、遠ざかるとまた出てきた。
衣を引っ張って話しかける声が聞こえたが、その言葉は理解できなかった。
壁から長さ七八尺の巨大な手が出現し、これを切らせると突然見えなくなった。
その後間もなく誅に伏した。 - 88: 2010/09/28(火) 19:20:35 0
-
>>87
オカ板の洒落怖の体験談にたまにこういうのあるな・・・ - 89: 2010/09/28(火) 20:20:33 0
-
>>87
『晋書』は、伝陶潜作『捜神後記』とかぶるネタが多いですね。
実際は陶潜作ではないそうですが、同一原拠なのか、『晋書』が『捜神後記』を
ネタにしたのか、『捜神後記』が『晋書』をネタにしたのか。
二番目でもおかしくないぐらい、正史の癖に変な記述が多い。 - 90: 2010/09/28(火) 22:40:46 O
-
>>89
wikiでチラッと見てきました
晋書はだいぶ評判が悪いですね…
荒唐無稽と言われてもおかしくない様な記述も少なくないです
そう言えば、三国志でも諸葛カクが頃される時に屋敷の奉公人に異様な振る舞いがあったこと等記されているが、こうした話はみんな終わりの良くない人ばかりだ - 91: 2010/09/29(水) 14:19:47 0
- 「ヨーハン・ディーツ親方自伝」より
ゲルマン圏でよく見られたという「荒ぶる狩猟」の一種でしょうか
このあたりの山地でリューベツァールのことがさかんに話されているのを
耳にした。そして一夜をその山麓で過ごしたのである。火のないところに
煙は立たぬ、流刑の森の精か悪魔かが悪さをしないとも限らぬ。
その証拠に、 夜、ある家で藁の上に横になっていると、深夜に馬と犬と狩人のものすさまじい ざわめきと反響が、何度も家の前を通りすぎていくのを、わたしはこの耳で
聞いた。
こんなことは毎晩で、めずらしくもなんともないと人々は言った。
ほかにも、リューベツァールは人々を迷わせる、そいつをからかう者の上に
雷雨を引き起こすことができるなど、リューベツァールの言い伝えには
事欠かなかった。真偽のほどについては、どちらとも答えないことにする。 - 92: 2010/09/29(水) 19:19:50 0
-
>>91
いわゆる「夜の狩人」の類に見えますね。
出現するとされたのは冬が多いそうですが、
>そいつをからかう者の上に雷雨を引き起こすことができるなど、
からかった人間に害を与え、時に撃ち頃して連れて行くとよく言われていますし。 - 114: 2010/10/11(月) 21:24:41 O
- 蜀書トウ芝伝と注より
トウ芝は延熙十一年に発生した反乱を軍を率いて征伐して頭目をさらし首にした。
十四年に死去した。
トウ芝が遠征した際に黒い猿が山沿いに行くのをみつけた。
芝はいしゆみが好きだったので、自ら猿を射て命中させた。
猿は矢を抜くと木の葉で傷口をふさいだ。
芝は言った「ああ。わしは生物の本性にそむいてしまった。まもなくしぬだろう」
- 115: 2010/10/11(月) 21:29:07 0
-
>>114
意味がわからず不気味。
こういう不気味さはある意味、予定調和な展開にならないとき面白いと感じる笑いと似てるかも。
- 726: 2012/08/10(金) 14:31:10.37 0
-
>>114
「頃すことができたということは、そこでその動物はしぬ運命だった」
という生命観、運命観のようなものがあり、
「頃そうとして頃せなかった(治療した)。ということは、自分の方が間違っていたのだ」 ってところかなぁ - 116: 2010/10/11(月) 21:36:03 0
- 「生物の本性に背く」って何だ?
喰う必要もないのに他の生物を狩ることか? - 117: 2010/10/11(月) 21:40:31 0
-
>>116
>猿は矢を抜くと木の葉で傷口をふさいだ。
おそらくここ。
猿以外の何かをうってしまったのだろう - 118: 2010/10/11(月) 22:12:48 0
- 猿じゃなきゃなんなのさ
- 119: 2010/10/11(月) 22:19:28 0
- 山の神様的な何かじゃない?
- 121: 2010/10/11(月) 23:08:11 0
- 山中でサルが動物とは思えないことをしていたのを目撃・・・
って怪談結構あるよね
霊長類ならではなんだろうなあ - 148: 2010/10/22(金) 09:29:47 0
- カトリックには「エクソシスト」がいる
その人たちについて書かれた本をよんだことあるけど、
悪魔つきは、ほとんどの場合、精神病だとエクソシスト自身がいっている
16世紀の悪魔祓いでクライアントが吐いた釘は16世紀の技術で作られたもので、
20世紀の悪魔祓いでクライアントが吐いた釘が20世紀の技術で作られたものなのは、どうしてだろう、って
「これが逆なら驚きますが」とエクソシストの資格のある神父さんの言
ただ、ときどき、理解に苦しむのもあって、それは本物の悪魔つきなのか、
現代の精神医学では対処できない精神病なのかはわからない・・・ともおっしゃってた
映画「エクソシスト」のモデルになった神父さんは、とても立派な方で、
確かに超能力を持っているのではないかと思わされるような人だったらしいが、
その人の生い立ちを見ると、少年時代に修道院に入って、現在の目から見たら、
児童虐待じゃないかと思わされるような厳しい修行を積んだ人
もともとその素質があり、なおかつ、幼い時からそのための厳しい修行を積んできた人のみがもつことのできた、
集中力・洞察力その他からくる「超能力」だったんだろうな - 149: 2010/10/22(金) 09:32:52 0
- しかし、釘をはく行為が精神病からくるものなら、
釘を吐くためにほうばるという姿も鬼気迫るものがある
ありきたりな感想だが、そりゃ、悪魔も怖いけど、悪魔を創造する人間の心もまたこわい
人間の心の複雑さには驚くより仕方がない - 199: 2010/11/27(土) 11:51:50 0
- 今の時代の我々はこういった資料を
伝説、創り話だとかそういった類で捉えていると思うが
当時の人々にとってはマジ、ガチなことだったんだろうね。
迷信や信仰など現代の比ではないはず。 -
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ライター及び編集:kana
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