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1: 03/08/31 10:23 - 全国各地の忌み地・忌み山に関する記事を、ダラダラと腐った屍の
ような気分で語り続けるスレです。
「呪わしい土地」・「腐った土地」と嫌われる土地の伝承の起因を
知り、掘り起こしていくだけの話ですが、暗い気分に浸りたい方、
鬱な方には打って付けの内容にしたいです。
さあ、あなたも気が狂うワールドへ飛び込みましょう……。
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- 4: 03/08/31 10:49
・倉戸(クラド)
奥多摩第2駐車場から仰ぎ見る倉戸山。その裾に当たる現在のバス停
付近は、かつて悪い事がある場所として近在に知られた祟り山である。
昔、何者かが炭焼き窯の中で4んでいた。
その霊を祀るために碑を立てたが、誰が作業をしても怪我をしたり、
火を出したりと非常に不首尾な事が起こる。
今もってジメジメした寂しい北面の山側で、もとは個人持ちの山で
幾人もの手を渡り歩いたが、最後に埼玉県入間の医師が所有した後に
都が買い上げ、公園管理団体のもとに置かれている。- 5: 03/08/31 13:21
- ・居合澤(イヤイザワ)
倉戸山の奥手の祟りある山で、永い間に木の葉が深く積もってブクブクと
している陰気な沢である。
戦前まで此の沢で材木の太いやつ程もある蛇を見た者がいた。
また、頭が尾羽の方にも付いている山鳥が住んでいるといい、炭焼きは
入ったりするのさえ嫌がった。
ここは元の地主が祟ると言われ、ある一家が買ったところお祖母さんが
ランプを灯すのに失敗し、体に火が付いて亡くなり続いて孫も火傷で
4んだという。
人の手を渡り続け、都の所有になる前には薪炭組合の所有になっていた。 - 6: 03/08/31 14:09
- 炭焼きって結構怖い職業だね…
- 12: 03/08/31 20:02
・天蓋山(テンガイヤマ)
海沢の北にある600余米の高さの山で、山頂近くは誰も入らないので
雑木が茂っている。
昔の野辺送りに棺の上にかざす「天蓋」そっくりの形をしている。
タツガイトとも呼ぶ人もいる。
この山は買う者、売る者、木を切る者に悪い事があるという。
上坂の人が買う算段をしていた時、三つになる子供が囲炉裏で火傷し、
経過が悪くて亡くなってしまった。
天蓋山には庚申が祀られているが、この庚申様が火傷させたのだという。
- 13: 03/08/31 20:03
・病ヶ沢(ヤマイガサワ)
日原、川苔谷の支流、逆川の奥にある。
周囲はかなり広い手付かずの山林で、昔、ここに宿っていた法師が
命を捨てた所だとも、落人が逃げてきて首を斬られた所だともいう。
ここで一山買ってのべつに仕事をすると必ず病気に罹ったり4人を
出すという。
眼患に罹り、「銭ばかり掛かる」と言う人もいた。
町が買い上げ町有林になり、名前も(病まぬヶ沢)にしたが、誰も
山仕事に行かぬという。
- 14: 03/08/31 20:04
・骨窯(コツガマ)
病ヶ沢(ヤマイガサワ)の川向こうにある所で、そこで炭を焼くと4ぬ
というので誰も木を切りに行かない。
太い楢がツクツクと生えていて陰気な所だという。
他にもカワナの屋敷地、または屋敷谷戸(ヤシキド)ともいう皿の割れた
物が出る場所もあり、理由は分からないが悪いところなので小屋掛けを
したり、作場をきる事はしないという。
カワナの屋敷地に小屋を掛けたら、天狗に小屋ぐるみ揺すられたので
以後は行かないという人もいる。
- 15: 03/08/31 20:04
・食わない作り(クワナイヅクリ)
日原川沿いの大澤部落の山の上にあり、ここでいくら耕作しても
食えずに4ぬという。
以前、ここに金剛寺という寺があったという。個人持ちの山だが
短期間に何人もの持ち主が変わっている。
- 16: 03/08/31 20:05
・位牌山(イハイヤマ)
大澤地区と同じ日原川沿いの寺地地区にある。
裏手の峰畑では塔婆山(トウバヤマ)とも呼ばれ、位牌の形だ、塔婆の
形だと言ったりしている。
昔、炭焼き小屋に法印様が泊ったが、貧困に喘ぐ炭焼きが金欲しさに
消してしまった。
あるいは栗拾いが法印をヨキ(斧)で消したともいうが、兎に角
それ以来祟る山になったという。
大体買主に祟るが入る者にも良くない事があり、九人でそれぞれ炭を
焼いたらどの窯もみな火が消えたという。
- 17: 03/08/31 20:05
・位牌平(イハイデーロ)
青梅街道を奥多摩駅からダムに向かった先、境地区にある。
元は子安平(コヤスデーロ)と呼んだが、何か良くない事があり
そう呼ぶようになった。
祟り山で作場を作ったりするのを嫌う。
この付近では入ったり炭を焼くのを忌む場所は他にも多く、
それらを皆、地獄谷戸(ヂゴクト)と呼び、誰かが仕事で
怪我か4亡した場所であり、人名を冠して誰々ヂゴクと呼ぶ。
- 18: 03/08/31 20:06
・生首(ナマクビ)
六ッ石山へ向かう途中の集落、水根にある祟り山。
昔からその山を買うと身体から首が離れるような事になる
(いわゆる斬罪、獄門首になる)といわれ、誰も買いたがらない。
新梨尾、出野萱の両方も祟り山だと言う。
- 19: 03/08/31 20:07
- ・位牌窪(イヘークボ)
御前山の北西を下るミズクボ沢がダムに流れ込む辺りをいう。
昔、伊平という炭焼きが窯に火を入れていたが、山崩れで
窯と一緒に樹の下敷きになって4んだ。それ以来ここで
木を伐ると怪我をしたり、呼んだりするので気味悪がって
山仕事をするのを嫌うという。
湖岸道路に面しており、今では林業作業車やブルドーザー
が唸りを上げて稼働している。
- 20: 03/08/31 20:29
- ・北蓑戸(キタミノト)
奥多摩周遊道路のダム側ゲートを過ぎて数キロ行くと交差点があり、
山の「ふるさと村」に向かう道がある。
ここよりふるさと村へ数百メートル進むと一本目の橋がある。
「北蓑橋」・・・。
この辺りは昔、糠指(ヌカザス)といい、北蓑橋の下を流れる谷を
着タ蓑戸(キタミノト)と呼んだ。
昔、ある夏の雨の降っている日、ある人がここで炭を焼いていたが、
眠り込んでしまい、着ていた蓑に火が付いて焼け4んでしまった。
それで「着タ蓑」と云う名前が付いた。
ずっと昔の事で、それ以来この山に入ったり、所有者になると必ず不幸が
あるといわれた。
蓑を焼いて4んだ人の次の持ち主は火傷で4に、
南集落(現在矢久亭のあるところ)のある人はここで狸に化かされ、
ネ果足で歩き回りながら4んだりしたという。
埼○銀行某支店の頭取が持っていたときは子供が次々に4亡し、支店の
経営も上手くいかず財産が1/10になってしまった。
また、ここで働かせていた林業労働者が崩落で6人4亡する事故も起き、
とうとう困り果て塔婆を建てて捨て値で売却した。
以後も人手を転々とし、最後に鳩和木材株式会社から都に買い取られ、
今では何も知らないレジャー客を呼び寄せている。 - 21: 03/08/31 21:55
- 怖いよ!もう奥多摩で」キャンプ出来ない!
檜原村数馬の蛇の湯は? - 22: 03/08/31 22:31
- 蛇の湯の話は祟り山と違うので外させて頂きます。
檜原も祟り山の話は豊富です。
作物泥棒と間違えられて百姓に撲札された貧しい哀れな武士が祟るように
なった畑の話など、山に限らず色々あります。
ですがもう少し奥多摩湖側の話が残っています。
ではまた明晩・・・ - 25: 03/09/01 14:35
- 奥多摩に集中してるけど
そんな濃いいところとは知りませんでした。
青梅にじーちゃんの家があるんだけど
あのへんも山だなあ こったら話聞いてみたい - 28: 03/09/02 04:21
- ・新発意(シンボチ)
北蓑橋の先、「山のふるさと村」のある辺りは岫沢(クキサワ)と呼ぶ
地区である。
実は此の場所も、以前は新発意(シンボチ)と呼ばれる祟り山であった。
新発意(シンボチ)というのは浄土真宗などでいう若年の遊行僧で、
それが何かの理由でここまで来て4んだ場所でといわれている。
雨の降る時は出てきたという話が残っており、シンボチ小僧がいるなど
と言われていた。
またここで作場を切った人が猪を追うための小屋を掛けていたが、その
猪に当たって4んでしまった事もあるという。
南地区(矢久亭や深山荘のある場所)の人が持っていたが、その家には
馬鹿(精薄)・気狂い・目ッカチ(片目)の子が生まれたり、首を振る
婆さんが出た。
それでもまだ持っていたら遂に破産してしまったと、此の付近の老人は
どこでも知っている。
- 29: 03/09/02 05:14
- ・児沢(コサワ)
「山のふるさと村」のレストハウスの直ぐ先にある沢で、昔は良い
ワサビが採れる田があった辺りだ。
他の所では絶対に見られないアヤメが咲いているので、誰かを葬って
植えたのだろうという。
今までに山仕事で二人程4んでいるほか、炭を焼くと必ず不幸がある
といい、ある人は両親と妻の三人をいち時に亡くしたという。 - 30: 03/09/02 05:47
- ・種ヶ岩(タネガイワ)
都民の森として整備された三頭山のどこかにある岩で、この岩の横の
窯で炭を焼くと、火の中に頭を割られた男がじっと睨んでいる。
昔長野から山梨まで種売りに来た男が、残りを桧原で捌こうとここまで
来たところ日が暮れ、炭焼き窯の側の岩で野宿をしていた。
早朝に炭焼きがやって来て、売上金欲しさに消して窯で焼いたのだと
いわれ、ここでは炭を焼かない。
- 31: 03/09/02 22:08
- ・江戸崎町の潰れ屋敷跡
昭和の初め頃、江戸崎町松山で「良い売畑がある」と持ち掛けられた人が、
下君山の羽黒にある20ヘクタール程の桑畑を購入した。
ところがそれより、次々にその家庭に不吉な事が起き初めた。
主人が飼い馬に足を踏まれ足指を切断したり、娘が鬱病に罹り自札未遂を
起こしたりと祿な事がない。
困った主人が近所に住む老人に洩らしたところ、意外な話をされた。
昔その畑に百姓家があり、高持ち(土地持ちの豪農)だったという。
その家敷でゴゼを泊めたところ、稼いだ銭を沢山持っていたので風呂に入れ、
湯船に漬けて消して敷地に埋めたのだと云う話だった。
ある晩、隣の嫁がこの屋敷に風呂を貰いに行ったが、風呂の蓋を取ると
火の玉が一杯に入っていた。仰天した嫁が風呂掻き棒で思いっきり叩いた
ところ、あたり一面に火の玉が散らばり火の海になった。
恐ろしくなった嫁は夢中で逃げ帰り、布団を被って寝込んでしまった。
そんな事があって以降次々に悪い事が起き、ついに潰れた屋敷跡なのだった。
それを聞かされ驚いた主人は、地続きの家で売ってほしいと話があったのを
幸いに、大分損を承知で売り渡した。
その後、嘘のように凶事が治まり、娘の病気も治ってしまった。
ところが一方、買った家では主人が胃癌で急4。倅は若くして中風に罹り、
不幸が次々に襲ってきたという。
堪り兼ねたその家でも、小学校の移転先の用地を町が探していると聞き、
売却に成功してからは平穏無事だという。 - 33: 03/09/03 00:08
- 不動産屋さんに商売に必ず失敗する土地のブラックリストがあるらしいね。
呪われてるのかな? - 34: 03/09/03 00:53
- 忌み地の話ではないが、前述の茨城県稲敷郡江戸崎町下君山から、上君山へ
向かう国道408号には他にこんな怪談もある。
これも昭和の初め頃の話で、小雨がしとしとと降る寂しい夕方に火の車が
現れるという話があった。
火の車は近付いてくると、側によって「乗ったか?乗ったか?」と声を掛ける。
返事をしないと何時までもまとわりついて「乗ったか?」と決して去らない。
そこで「乗ったあ!」と答えると、まっしぐらに走り去る。
行く先は多分、上君山の「いも薬師」だろうという。
※「いも薬師」は別名:「車堂」と呼ばれている。
国道に面した、雨よけのあるだけの奥行きのない木造の祠堂である。
何故「車堂」と呼ぶのかは、はっきり分からない。 - 35: 03/09/03 08:22
- 忌み地って昔の人は尾根端、谷くち、お宮前、お寺裏っていってたよね。
- 39: 03/09/04 08:48
-
>>35
え・・・。漏れの家はお宮の真ん前にあるわけだが・・・ガクガク(((゚Д゚;)))ブルブル
まぁさ、お宮から古木のある庭、稲荷にかけて時々何か通るけどさ。
火の玉とか、この世の人でない人とかさ。悪い気配しないからいいけどさ。 - 40: 03/09/04 16:15
-
>>39
忌み地にご在住ですか、そうですか…
合掌。 - 42: 03/09/04 20:54
- 地名が地蔵・・やだ・・
- 46: 03/09/05 00:05
- ・牛久市奥原町
ここにかつて薬師寺、地蔵院の二寺があった。
この寺は修験道の寺院で、明治維新の際に廃寺となり、その持田は民間に
払い下げられることになった。
地蔵院は持田40㌶余り、地味も豊かで収穫も良かったが、なぜかこの
田を作ると凶事が起き、地元の人は誰も作る人がいなかった。
人手を巡り、多村の者なら障りなかろうと買った者がいたが、やはり凶事
に悩まされ手放したと言う。
薬師寺は持田50㌶ほど有り、古文書によれば旧藩士に払下げられた後に
次々と持ち主が代わり、ある家では長男・次男と続いて事故4したという。
安値に釣られて買った竜ケ崎市内の不動産屋が、たび重なる災難に困り
果て、某寺院に寄進してしまった。 - 47: 03/09/05 00:09
- ・龍ケ崎市八代町下入代
県道潮来線のバス停から30㍍程の所に、十三角田という田があった。
この田がなぜ忌み田になったのかは定かでない。
葬式の十三仏と田の角の合計が同じだからと言う者もあるが、理由は
はっきりしない。
この田を耕作する家には次々と凶事が発生し、永い間荒れるに任せていた。
しかし終戦後の食糧不足と米価の高騰に耐え切れず、この田を耕作する
人があった。
この家では間もなく、倅が土方仕事に出てガケ崩れで生き埋めになり4亡。
親父は急に田を手放したくなり、他の人に貸して作らせたら今度はその家
で主人が胃ガンで4亡。家族にも次々と病人が絶えないので遂に放棄した。
荒れ果てていたが耕地整理が進み、今ではどの辺にあったかも判明できなく
なり、地主が元の場所あたりを配分され引き受けた。
地形が変わったためか、今では無事だと言う。 - 48: 03/09/05 00:10
- ・新利根町芝崎
芝崎の水道という所に、約1㌶程の田があった。
形が出刃包丁に似ていると言うので「出刃田」と呼ばれ、ここの田を耕作
すると災難が来ると恐れられていた。
これまで何人となく作る人がいたがすぐに止めてしまい、荒れるに任せて
いた。
昭和十年頃、河内町下加納の人が作ったところ、間もなく火災に遭って
自宅を全焼してしまった。
現在は農地構造改善事業によって所在不明となった。 - 108: 03/09/14 04:01
- ・利根町羽中
病人田と呼ばれる田が白鷲団地の方にあって、深い田の真中で女の笠だけが
浮いていた。
笠を被っていた女が、田植えの最中沈んでしまったといい、この田を買うと
悪い事があるという。 - 126: 03/09/26 04:15
- ・牛久市島田町
かろうど畑という畑が鹿島神社近くにある。
この地域の人などによく知られた祟りある畑で、昭和50年頃までは
一人暮らしの老人が野菜を作っていたが現在は荒れている。
付近の人は貰ってもいらないと忌み嫌われている畑で、幾人もの
人を不遇な目に遭わせてきた話がある折り紙つきの因縁畑である。
「かろうど」とは唐棺の事だと指摘する人もあり、昔は古墳があったと
いわれている。
以前まで畑の中に藁で出来た粗末な祠があったらしい。 - 135: 03/10/02 01:04
- 神奈川の鎌倉って結構忌ってます。鎌倉時代に処刑場だった所に建った家の事ですけど、そこに住んだ家族は事故や一家離散に見舞われたという。
実際俺そこに住んでましたけど、母親が亡くなって一時一家離散したかな。
場所のせいかはわかりませんけど。 - 143: 03/10/03 22:58
-
>>135
鎌倉の由比ヶ浜って昔、処刑した囚人の埋葬地だったんですよね。
そう、処刑場や古戦場跡地みたいな場所は祟地多いですね。
なんか京都や奈良方面にはもっと多くの埋もれた話がありそう。
- 144: 03/10/04 01:19
-
>>143
そうですよ。埋葬地だけじゃなく処刑場自体あったとか。霊感があるという人はあの辺り近付きたくはないんだとか。小坪は有名だけどただの心霊スポットか。
とにかく戦国時代の都付近はろくなもんじゃないです。 - 145: 03/10/04 09:35
- 勝手なイメージで悪いんやけど
北関東って陰惨な土地なんやろか?
茨城とか埼玉(特に入間川の周辺)いうたら猟奇的事件が多いのんとちゃうかな - 147: 03/10/04 10:18
-
>>145
もともとが荒地を開墾して中世以降に作られた土地らしい - 150: 03/10/04 23:13
- 因縁があったりするかどうかは、知らないけれど、
京都の山科区には、御陵血洗町なんて、怖い町名があります。
「忌」とは関係ないけど、滋賀県の栗東か草津には、伊勢落野神
という地名があります。
お伊勢さんから落ちてきた神様が、平家 よろしく落人部落の様に、住み着いた
土地って事でしょうかね? - 158: 03/10/23 00:55
- ・東京都多摩市連光寺の某所。
もと墓地の跡と言われている。この土地は昔より持つと所有者に
悪い事があり、長く持っていた人がいない。
今もいる人で若い嫁を亡くし、その前に住んでいた人は子供が
みんな亡くなってしまった。それ以前は寺方の持ちものだったという。
またある某家では先祖が請け負った仕置き場があり、そのための小屋が
あった跡が悪いという。
土地が安いので、知らぬ人はみな買うのだという。 - 159: 03/10/23 00:58
- ・東京都多摩市南貝取
とちのき公園は以前、栃ノ木谷戸と呼ばれる魔所であった。
事故の多い場所で、以前ここに栃○という家があったが絶えてしまい、
その跡地を買うと良くないと言われていた。 - 245: 04/05/09 15:13
-
>>159
とちのき公園は今は平和そのもの。
子供が歓声をあげています。
今ではあそこに個人の家があったとは信じられない位ですね。
でも、それは表面的なことで本当 ガクブル なとこなのかな?
因みに、とちのき公園は南貝取ではなく、豊ヶ丘です。 - 170: 03/10/24 01:19
- ・庚申山
神奈川県川崎市多摩区の長沢の北にあった高さ100 m、広さ300 ㎡ほどの
丘陵で、普段人が入って木を伐ったりすると、怪我したり4んだり、気が
狂ったりすると言われていた。
以前は大きな樹が茂っており、トオノコシ谷戸(平瀬川付近)の庚申講
の持山であったが、一度国有地となり、民間に売りに出されたが買い手が
付かなかった。(今ではマンションや住宅が犇めいている)
明治の中頃まで同族で構成された庚申講による一党祭祀が続き、8年から
10年に一度取り行われる祭りの時にだけ入山したという。 - 171: 03/10/24 01:21
- ・入いらずの森(イラズノモリ)
川崎市多摩区生田にある川崎市水道局生田浄水場散策道のことであり、
こんもり木の茂った陰気な手付かずの森である。
第六天の祠があったといい、土地に昔から住む人は立ち入らなかった。
浄水場建設の際、怪我人が多数出たという。 - 172: 03/10/24 01:23
- ・穢地山(ケガチヤマ)
川崎市柿生区万福寺。 博打打ちが仲間に斬り頃されたためになった山だ
といい。持てば持ち主に祟るという。
柳田によれば、ケヤマのケは(物の怪)のケというが、ここでは穢れた
場を意味する。 - 174: 03/10/24 01:25
- ・4に山(シニヤマ)
東京都稲城市。これは東京都だが、裏手の川崎市柿生区細山と山続き
なので加えさせてもらう。
東京○みうりカントリークラブ付近にあったと思われ、山仕事の人が
怪我をしたり、4んだりした山だという。 - 206: 03/12/19 00:41
- 富士郡島田村(現在の富士市 国139と県171の交差辺り?)
依田原新橋の東外れ、和田川の西側の土手を南へ一町ばかり行った所に、
幅一間ばかりの川がある。土橋が掛けてあり、ここを「お園水道」という。
昔、お園という芸者がこの川に入って4んだという。そして、ここに
住む者は決して成功しないという。
ある人は御稲荷様まで祀ってお祓いをしたけれども、やはり思わしくなく
余所へ移ってしまった。今もその御稲荷様は、古びたまま残っている。
- 208: 03/12/19 00:44
- 榛原郡白羽村(現在の榛原郡御前崎町白羽)
白羽村字小杉原に、千人塚がある。その上に松が植わっていて、
椀貸せ松という。この松を切ると血を出すと言って、手をつける者は
いなかったが、明治20年の頃に切って畑と成し、今は跡さえもない。
この松を切った者は、当時富裕の資産家であったが、今は全く零落して
家屋敷も留めていない。一家は4んだ者あり、病んだ者あり、全く離散
してしまった。松の祟りではないかと言われている。
松を直接切ろうとした人夫も、枝打ちに上ったところ、過って墜落し
腸を出して4んだという。
- 209: 03/12/19 00:45
- 庵原郡高部村大内(現在の静岡市こないだまでの清水市)
護良親王の首を、内裏山に納め奉る。今もなお、五輪の陵墓がある。
現在F氏の所有する土地である。同氏は近年ここの発掘に努めているの
だけれども、途中まで掘ると異様な物音が生じ、めまいがして、
どうしても掘り出すことができないということである。
菊の御紋章が付いた位牌とか、刀鏡などは採掘したとのこと。
- 210: 03/12/19 00:47
- 賀茂郡中川村(現在の賀茂郡松崎町の内陸部)
障子山(難山?)と云う山には、現在は埋まってしまったが、
障子山という人が戦の時に隠れたという穴があった。
この山は木が大きくなったのだが、買う人がない。
この山の木を切った家には災難があり、家にない場合には木を積んだ船に
悪いことがあると言われている。
なお、前述の穴に白旗が立っているのを見た人は、3年以内に4ぬと
言われている。
- 211: 03/12/19 00:48
- 富士郡富岡村(現在の名称不明 富士宮市か?)
淀師に、「やみた」という田があり、作ると必ずその家の誰かが病気になる。
昔、殿様がここに深い池のような牢を造って、罪人を生頃にした所だというが、
確かなことは分からない。
- 219: 03/12/26 16:43
- 青森の鯵ヶ沢とか九州の、県は忘れたが鯖山だとか
淡水域に決して住むはずのない魚類の名前を冠した
山名地名がある。オカルト...とは言わないが、俺にとって
は、不思議でそそらえるんですが。フタグンさん。 - 224: 03/12/28 16:53
-
>>219
そういう地名は、
元来は違う字で記してたんだけど、いつのまにか
よく使う漢字で書くようになっちゃいましたーという
パターンの場合があります。
いや、何か謂われがある場合もあるんでしょうが・・・ - 226: 04/01/09 21:02
-
>>219
さん
魚に関連した山名について、鯵は知りませんが
鯖(サバ)・・・サブ、サヒに通じる。「鉄分を含む地」の意。
鰈(カレイ)・・・カレ、ガレに通じる。「崩れ」のある地。
という説もあります。一説ですが、ご参考までに。
- 228: 04/01/13 14:14
- >>219 鰺ヶ沢は思い切り日本海に面してますが何か?
- 229: 04/01/22 08:49
- 鰺ヶ沢については、「葦の生い茂る沢」が由来だと聞いたことがあります。
- 235: 04/04/12 22:53
- このスレに出てくる地名の出身だけど、
自分のところが忌み地だなんて初めて知った。
確かに、「宮ノ前」と呼ばれている地域があった。神社の前に。
だけどそこは大地主だったけどなあ。 - 236: 04/04/12 23:39
-
>>235
一説ですが、お金持ちの家を周辺の人達が妬んで、
悪い噂を立てることもありますよ。
ちょっと例が違うけれど、クダ憑きとか六部消しとか。
「あそこの家はこーんな悪い事してお金持ちになってるけど、
ホントは祟られてるんだぁ」みたいな。
ま、参考までに。 - 237: 04/04/13 21:46
-
>>236
被差別部落の象徴?ともされる○○神社があるんだけどね、そこ。
でも、いわゆる同和地区とは違うん印象がある。
江戸の昔は知らないが、大体は土地持ちの農家で二階建ては当たり前、
車も二台ぐらいもっている家が多くて。ただ、農業地区としては、広い水田が作れないので そう豊かではないと思われたが。
印象としては、尾根と谷が入り組んだ中で、一番の窪地で、
森がうっそうと生い茂り、夜には肝試しにうってつけ、の地区だった。
実際、小さい頃は肝試しして遊んだ。
ただ、明治ごろに、「神社の前の道で、子供が牛車に轢かれて4んだ」
「伝染病で4人がよく出た」という言い伝えを祖父から聞かされたことはあった。
そういえば。今思い出した。 - 239: 04/04/28 20:56
- 島田市 長島「聖坂」
小川から長島に下る坂。
昔、高野聖が不案内から道に迷い、山中で一夜を明かそうとしたが、
オオカミに喰い消された。その屍と、傍らにあった経巻を郷人が焼いたところ、
灰は風に吹かれ幾多の雀と化し、この山に群がるようになった。
土地の者が付近に焼き畑を作付けすると、群雀に食い尽くされるという。 - 240: 04/04/28 21:00
- 島田市 伊久美字犬間
どういう理由か判らないが、犬間で鶏を生き埋めにした。
それ以来、その場所を夜に通ると鶏の鳴き声が必ずするので、
恐れられている。
以上、昭和44年発行の本より。
- 241: 04/04/30 00:51
- 吉原市江尾町(現在の富士市)「ごぜの森」
森と云っても直径20mほどで、雑木や雑草が生い茂っている。
その昔は天狗が住んでいて、夜になると時々怒って、木を嵐の如く
揺らしたという。
また、ある者が森に茂っていた草を刈って持ち帰る途中、僧に
「その草は森へ返せ。後の祟りがひどい。」
と言われた。気に止めずに持ち帰ったところ、その年より
不幸な生活を送るようになった。
住民は今でも祟りを恐れ、そばを通るのも気味が悪いという。
昭和33年発行の本より。 - 248: 04/05/11 23:04
- 静岡県相良町 西萩間「万法印」
丸尾原へ上る御相談坂の登り口に、小さな橋がある。
手前を左に行くと子生れ石、橋を渡り右に行くと、田がある。
この田を作ると、何かしら禍があるというので嫌われている。
この田は昔、字 原平に住んでいた万法印と呼ばれる法師のものであった。
彼は土地への執着が強かったゆえ、縁もない者に耕されるのが無念で
祟るのであろうということである。
現在は、地主が耕している。
以上、昭和44年発行の本より。 - 251: 04/05/13 22:31
- 奈良県 東吉野村 三尾 「まのはら(魔の原?)」
三尾の集落に入る左手前、道路と四郷川の間の一段低いところに
10坪ほどの平地があり、以前より「まのはら」と呼ばれていたとの事。
今から30年ほど前に、その場所に製材所を建てた人がいましたが、その後
その人の一家には変4者が相次ぎ、最後には全員が4に絶えたと聞いています。
ちなみに、今現在製材所は廃墟と化してますが、街灯がほとんど無い場所なので
夜に横を通ると雰囲気たっぷりです(;´Д`)
なお、川を挟んだ対岸の崖の上には鉱山の坑道が残っていますが、かつては
その坑道の中で幽霊が出没したという噂も聞いています。 - 252: 04/05/18 21:18
- 千葉市 緑区 おゆみ野 【首塚】
近代的ニュータウンが広がるおゆみ野・ちはら台であるが
昔はうっそうとした山野だった
その昔、落ち武者がこの地でつかまり首を切られたという
この塚の近くに沼田があったが、これを耕すものは家が絶えるといわれていた
昭和30年ごろ、この沼田を耕していた家があったが、怪4する者が続いたため
所有者は耕作を放棄したという
ニュータウン開発が始まるまでは荒れるに任せており、薄気味悪い祠があったという
現在はニュータウン開発に伴い、場所がわからなくなっているが、
鎌取駅のやや北にあったそうだ
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