女性腕


2014/07/31(木)  ID:qwj7zH160
「父さんの再婚相手な、大学生なんだよ」

 父の口からそれを聞いたとき、思わず鼻で笑ってしまった。
 つまらない冗談だと思った。
 それが本当のことだと、私が知ったのは今から半年前だ。

 夏には眠れない夜が、ふと訪れたりする。
 そして、そんな日は怖い話を聞いたり話したくなったりする。
 
 今日がまさにそんな日だ。

 怖い話が聞きたいって人は、よかったら私の話につきあってほしい。



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2: 2014/07/31(木) 16:29:38.68 ID:qwj7zH160
 実はさっきまで会社の後輩と飲んでたんだ。
 だから今でもすこし酔ってるけど、話すのに支障はないと思う。

 後輩にも『母親』とそれに関係することを話をした。

「俺でよかったら、いくでも話聞きますよ」

 気立てのいい後輩はそう言って、グラスをかかげた。

 店員にすすめられたカクテルに口をつけたあと、
 私は私の年下の母親について、後輩に語った。
3: 2014/07/31(木) 16:30:05.64 ID:qwj7zH160
 私と彼女が出会った場所は喫茶店だった。
 もちろん、その場には父もいた。

「どうもはじめまして」

 私の母親になる女が頭をさげる。
 明るい髪が肩からすべりおちて、甘ったるいにおいがした。
 その女の見てくれは、いかにも女子大生といった感じだった。

「先生から話は聞いてます。私はカホって言います」

 先生……父のことだ。私の父は大学教授をしていた。
5: 2014/07/31(木) 16:30:32.73 ID:qwj7zH160
「見てのとおり、カホはお前より年下だ。
 だけどお前の母親になる女性だ。
 最初は戸惑うこともあるだろうが、大丈夫。すぐ慣れるさ」

 私はなにも言えなかった。
 カホという女が理解できなかった。


 なぜこの女は、こんなろくでもない父親と結婚したいと思うのか。


 このことに関しては、今でも知らない。
 そして、一生知ることもないと思う。
6: 2014/07/31(木) 16:30:59.49 ID:qwj7zH160
 私の本当の母が亡くなったのは一年前。事故死だった。

 母と父の関係は、はっきり言って最悪だった。
 ふたりが家にいるだけで空気は張りつめ、肌に突き刺さった
 父と母が口をきくのは、口論のときだけ。

 母のしが悲しかったのはまちがいない。

 だけど安心もしていた。

 住人がひとり欠けたことで、私の家は平穏になったのだから。

 もっとも。私の家は新しい母親によって、ゆがんでいくことになる。
7: 2014/07/31(木) 16:31:33.17 ID:qwj7zH160
 喫茶店で会ってから一週間後には、カホは我が家に住むようになった。


「最近はユイちゃんの味の好みもわかってきたつもりだけど、どう?」

 カホの質問に私は「うん」とだけ答えた。

 カホがこの家で寝泊りするようになって一ヶ月。
 このわずかな期間に彼女は、私の好みを正確に把握していた。

 私の予想とは裏腹に、彼女は良妻と言っていい働きをしていた。
 家事はきちんとやるし、気配りも申し分ない。
 大学生活と主婦業をきちんと両立させていた。

「本当に? なんだか歯切れが悪いけど」

 カホの言葉に私は首をふるだけで答えた。
8: 2014/07/31(木) 16:32:18.18 ID:qwj7zH160
「お父さんもいっしょにご飯、食べればいいのにね」とカホが言った。

 父は私たちと食事をしないことがよくあった。
 正直、私には父のことなんてどうでもよかった。

 昔は仲のいい親子だったと思う。

 だけど、気づくと私と父の関係はいびつなものになっていた。

 「どうして?」と私が聞くと、カホはこう答えた。


「だって、私たちは家族でしょ?」

「家族?」

「ちがうの? 私、なにか変なこと言ったかな?」


 無性に反論したくなったが、言葉は出てこなかった。
12: 2014/07/31(木) 16:33:16.50 ID:qwj7zH160
「まだあの人とは結婚してないから、正確には家族ではないけど」

 カホが私の顔を見る。なぜかゾクッとした。


「いずれは家族になる。あなたともね」

「……あなたは私よりも年下なんだよ? なにも思わないの?」

「ちょっと特殊かもね。でも、それになにか問題が?」


 「想像してよ」そう言った私の声はふるえていた。


「母親が自分より年上の、娘のきもちを」

「奇妙に感じるかもね。でもそれも、ひとつの家族のかたちでしょ?」

「そんな簡単な言葉ですまさないで」


 カホと同居するようになってから、はじめて私は本音を口にした。
15: 2014/07/31(木) 16:34:11.42 ID:qwj7zH160
「ずっと前から疑問だった。
 あんなおっさんと結婚しようなんて、本気で考えてんの?」

 カホの表情がわずかにくもった。

「年齢だって三十は離れてるでしょ。どう考えたっておかしいじゃない」

 なぜこんなに彼女に突っかかるのか。
 自分でも不思議だった。
 でも彼女と同じ空間にいてはいけない、本能がそう言っていた。

「だいたい。家族やまわりの人たちは、このこと知ってるの?」

 「家族はいない」カホが目をふせた。

 家族がいない。その一言で、私は次の言葉を見失ってしまった。
16: 2014/07/31(木) 16:34:48.20 ID:qwj7zH160
「このことは友達にも知り合いにも、誰にも話してない」

「あなたもおかしいって自覚はあるんでしょ?」

「……」

「だから誰にも言えない。私の言ってること、まちがってる?」

 カホが押しだまる。

「そうね、ユイちゃんにはわからないだろうね」

「わかりたくもないね」

 私は席を立った。
 料理はまだ残っていたけど、食欲は完全に消え失せていた。

 部屋を出る直前に背後で「おやすみ」と聞こえたが
 扉をしめてそれをさえぎった。

 この日はさっさとベッドで寝て、最悪な夜を短くした。
18: 2014/07/31(木) 16:35:19.29 ID:qwj7zH160
今から考えれば、まだこのときはよかった。

すくなくともカホは、私の中で非常識な女で終わっていたから。

その認識がまちがっていたと気づいたのは、次の日からだった。
19: 2014/07/31(木) 16:35:45.98 ID:qwj7zH160
 次の日。
 満足に眠れなかった私は、寝ぼけたまま一階へおりた。

 リビングに入ろうとドアを開けたら、カホが扉の前にいた。
 思わず出そうになった声を、なんとか飲みこむ。

「おはよう」

 私はカホを無視して、そのまま彼女を横切ろうとした。
 だけどカホに腕をつかまれて、とまらざるをえなかった。

「おはよう、ユイちゃん」

 カホがにっこりと笑った。
 昨日のことなど、まるでなかったように。

 「おはよう」とさらにもう一度、彼女が言う。
21: 2014/07/31(木) 16:36:12.19 ID:qwj7zH160
 手をふりほどこうとしたが、彼女の力は予想外に強くてふりほどけない。
 おはよう、とまたくりかえす。
 本気でこの女がなにを考えているのか、想像できなかった。

「おはよう」

 声の調子も表情も、なにひとつ変わらない。
 私は無意識に息をのんでいた。

「おはよう」

「……」

「おはよう」

 私は気づいたらあいさつを返していた。

「おはよう」

「今日もいい天気だね。あっ、冷蔵庫にサラダあるから食べるんだよ」

 カホはもう一度にっこり笑って言った。


「じゃあ『お母さん』は大学、行ってくるから」
24: 2014/07/31(木) 16:36:55.98 ID:qwj7zH160
 あの日からカホは変わった。


「ご飯を食べるときは、いっしょにいただきますをしようね。
 『お母さん』より先に食べたらダメだよ」

「洗濯機にものを入れるときは、下着や靴下はべつべつで洗うって言ったでしょ?」

「床にものは置いちゃダメだよ。 この前も『お母さん』言ったよね?」


 小言が増えただけのように思えるけど、それは誤解だ。
 最初のころは、意地になって私はカホの言葉を無視しつづけた。

 普通の人間だったら、あるていど無視されれば
 怒ったりあきらめたりするはず。

 だけど彼女はちがった。
26: 2014/07/31(木) 16:37:33.19 ID:qwj7zH160
 延々と同じことを言い続けるのだ。
 一文一句、完全に同じことを。同じ調子で。

 一度、根比べのつもりで彼女の言葉をずっと無視した。
 だけど一時間経過しても、彼女は同じ言葉を繰り返しつづけた。
 最後には私が根負けして、彼女の言葉にしたがった。

 そして今も。

「使わないコンセントはぬいて。前にもそう言ったよね?」

「……」

「使わないコンセントはぬいて。前にもそう言ったよね?」

 いつもの笑顔で、同じ言葉を吐きつづけるカホ。
 我慢の限界だった。

 気づいたときには、私は彼女の言葉をさえぎるように叫んでいた。
28: 2014/07/31(木) 16:38:22.09 ID:qwj7zH160
「なんなのあんたは!?  
 注意するなら普通に注意すればいいじゃない!?
 なんでそんな同じことをずっと言っていられるわけ!?
 頭おかしいんじゃないの!?」

 みっともなく声は震えていた。カホの唇が止まる。

「私に構う暇があるなら、あの人の面倒を見ればいいでしょ!?」

 言葉は吐き出すほど不安に変わって、私にのしかかっていく。
 必シでカホをにらむ。
 私の叫びなど聞こえていないかのようだった。
 カホの笑顔は微塵も崩れることはなかった。

 そして。

「使わないコンセントはぬいて。そう言ったよね?」

 カホは言った。さっきと寸分変わらないトーンと微笑みで。
30: 2014/07/31(木) 16:39:02.73 ID:qwj7zH160
 声にならない声が喉から漏れ出た。
 
 私はリビングを飛び出して自分の部屋へと逃げた。
 扉を勢いよく閉めて、鍵をかけた。
 布団へと潜りこんで耳を塞ぐ。

「お母さん……!」

 私は祈るようにそうつぶやいた。
 
 扉をノックする音が、耳を塞いでいるのにも関わらず聞こえた。

『使わないコンセントは抜いて。そう言ったよね?』

 あの女の声が扉越しに私を追い詰める。
 目をきつく閉じる。
 なのにまぶたの裏では鮮明に、カホが微笑んでいる。

『使わないコンセントは抜いて。そう言ったよね?』

「……はい。ごめんなさい」

 私は声をしぼり出した。
 扉のむこうでカホが満足そうに笑った気がした。
34: 2014/07/31(木) 16:39:47.29 ID:qwj7zH160
『ユイちゃんは本当はできる子だもんね』カホは言う。

『『お母さん』がどうこう言わなくても、一人でなんでもできるもんね』

 はい、と私は反射的に頷く。

『今度は同じことを『お母さん』から注意されちゃダメだよ』

 カホが扉からはなれていくのがわかる。
 安堵のため息がこぼれた。
 


 それから二ヶ月が経って、カホと父は入籍した。
 式はあげなかった。
 私は家のことについて考えるのをやめた。
 
 そして。
 カホの異常は父にまでおよぶことになる。
36: 2014/07/31(木) 16:40:23.87 ID:qwj7zH160
 二人が結婚してから一ヶ月。
 私はカホの異常性が、父にまでおよんでいたことを知る。

 このころの私はカホの言うことを、素直に聞いていた。
 そうすることでやりすごしていた。
 
 この日は仕事がやすみで夜遅くに帰宅した。

『なんだカホ。俺がなにかしたのか?』

 ブーツを脱ごうとしたときだった。
 父の声がリビングの扉越しに聞こえてきて、私は手を止めた。

『なにを怒っているの?』

 カホの声は父のそれとは対照的に淡々としていた。

『お前こそなんなんだ?  俺がなにかしたのか?』

『言ってる意味がわからないよ。
 お風呂入ったら、って言っただけじゃない』

 そこでふたりの会話がとまる。
39: 2014/07/31(木) 16:40:55.42 ID:qwj7zH160
 父がリビングから出てきた。
 父は私に気づいたが、なにも言わずに二階へあがっていった。

「おかえり、ユイちゃん」

 カホがリビングから出てくる。

「なにかあの人とあったの?」

「べつになにもないよ?」

「あの人が声を荒らげてるのなんて、見たことないんだけど」

 きっと疲れてるんだよ。
 それだけ言うとカホはリビングに引っこんだ。
42: 2014/07/31(木) 16:41:27.63 ID:qwj7zH160
 カホの異常さはいやでも目についた。

 その日はめずらしく『家族三人』での食事だった。
 だけど、会話らしい会話はほとんどない。
 カホが一方的にしゃべっているだけ。

 以前までは父も話していた。
 だけど最近は、声を聞くことさえなかった。

 父が食事を終えて、リビングから出ようとしたときだった。


「お風呂に入るでしょ?」


 静かな居間に、カホの声がひびく。

 父は立ち止まりこそしたが、ふりかえりはしなかった。
 その背中にカホはまた同じ言葉をかける。

「お風呂に入るでしょ?」
45: 2014/07/31(木) 16:42:07.95 ID:qwj7zH160
「……あとにする。先にキミが入れ」

「お風呂に入るでしょ?」

 背筋が薄ら寒くなるのを感じた。
 この女はついに父にまで、自身のもつ狂気を向けたのだ。

「俺はやることがあるんだ。
 あとから入るからお前とユイが先に入れ」

 父の声は明らかに苛立っている。

 「お風呂に入るでしょ?」 何度目かになるカホのセリフ。
 カホの顔には、あの微笑みが張りついていた。

「お風呂に入るでしょ?」

 父がカホを振り返る。

「……わかった。入るよ」

「うん。一番風呂で寒いかもしれないけど我慢してね。
 あ、お父さんが出たら次はユイちゃんが入ってね」


 私はだまってうなずいて料理を口にする。
 口にふくんだカホの料理は冷めきっていた。
47: 2014/07/31(木) 16:42:48.44 ID:qwj7zH160
 カホのせいで家の中の空気が、変化していくのを私は感じとっていた。
 重くのしかかるような空気が、家全体を覆っていく感覚には覚えがある。
 
 この家が私にとって、心安らぐ場所だったのはいつのころだったのだろう。


 ここのところ、まどろみの中で『母』をさがす夢を見る。
 この日もずっと『母』をさがしていた。
 だけどなにか大きな音がして、唐突に現実に引きずり戻された。

 からだを起こして、机のうえの目覚まし時計を確認する。
 時刻は夜中の二時だった。

 音はリビングから聞こえた。
 私がリビングへと駆けつけると、父とカホがいた。
50: 2014/07/31(木) 16:43:21.37 ID:qwj7zH160
 カホは床に座りこんで頬をおさえていた。
 「な、なにがあったの?」と私の問にはふたりとも答えなかった。


「お前が悪いんだ……」


 父の顔は怒りに強張っていたけど、同時に紙のように白かった。
 やせ細って骨ばった父の拳には赤い血がこびりついている。
 呆然とする私を父が横切ってリビングから出ていく。

「どこへ行くの!?」

 私は父を問いただすために追おうとして、結局やめる。
 カホの様子を見ることを優先した。
53: 2014/07/31(木) 16:44:16.12 ID:qwj7zH160
「大丈夫?」

 唇の端が切れたのか、出血していた。
 父がカホに手をあげたことに、私はなぜかショックを受けていた。

「言いすぎちゃったのかな。怒らせちゃったみたい」

 カホがおかしそうに笑った。
 笑うと唇が痛むのか、その微笑はいつもとちがっていた。

「またなにか言ったの?」

「少し注意しただけだよ、わたしは」

「それだけで手をあげたって言うの、あの人は?」

「そういう人でしょ、あの人は。
 あなただってそんなことぐらい、わかってるくせに」

 私は肩をかして、ソファにカホを横たわらせた。
55: 2014/07/31(木) 16:44:59.54 ID:qwj7zH160
「前にも聞いたけどさ。なんであんな人と結婚したの?」

 カホが答えようとしないので、私はそのまま続ける。

「あの人はクズだよ。お母さんだってあの人のせいで……」

「そうだね」

 カホは自分のお腹に手をおいた。

「あの人は奥さんがいても、平気で不倫とかしちゃう人だからね」

 母の生前、父が不倫をしていたことを私は知っていた。
 そして、その不倫相手の一人が目の前の女なのだ。

「わかってたんでしょ? 」私は言った。

「アイツが人間としてどうしようもないクズで、最低なヤツだって」
57: 2014/07/31(木) 16:45:54.03 ID:qwj7zH160
 「ええ、もちろん」 とまたカホは笑う。
 「じゃあ、どうして!?」 と私は思わず声をあらげた。

「幸せになるためよ」

 カホ自分の腹部へと視線を落とし、
 そのまま自身の手を腹部へともっていく。

「どんなことをしてでも、なにをしてでも」カホの声が冷たくひびく。

「わたしはわたしの幸せを手に入れるの」

「どんなことをしても……?」

「ええ、どんなことをしても」

 幸せになる。

 カホが自分に言い聞かせるように、もう一度言う。
 その言葉はしばらく私の鼓膜にこびりついて、はなれなかった。
58: 2014/07/31(木) 16:46:26.71 ID:qwj7zH160
「……とまあ、だいたいこんな感じなわけ」

 私は話すのをやめて、カクテルを思いっきりあおった。

「先輩、飲み過ぎじゃないですか?」

 後輩の声がぼんやりとしか聞こえなかった。
 この時の私は、たぶん酔っていたのだろう。

「それで?  そのあとはいったいどうなったんですか?」

「お父さん? 亡くなったよ」


 後輩の顔がかたまる。
 予想通りのリアクションだった。
61: 2014/07/31(木) 16:47:14.51 ID:qwj7zH160
 「正確に言うと、葬られたされたんだよ」私は続ける。

「さっきも話したけど。
 父がカホに手をあげて、一週間ぐらいしてからね」

「そうだったんですか」

 後輩がしぼりだすように相槌をうつ。


「てっきりさ、葬られたと思ったんだ」

「え?」

 アルコールのせいで、言葉がチグハグになってしまう。
 私は言い直した。

「だから、カホがあの人を葬られたしたと思ったの」
62: 2014/07/31(木) 16:47:51.07 ID:qwj7zH160
「……なんでですか?」

 後輩の声が低くなった気がした。
 私は構わずに言葉を続ける。

「いや、単なる勘。だって、ありそうな話じゃない?
 棒力ふるわれた女が、それをきっかけに男を殺そうとするって。
 ありそうじゃん、サスペンスとかで」

「でも、その人は先輩のお父さんを葬られたりしてないんでしょ?」

「おそらくね」と私はためいきをつく。
 
「父が葬られたされた時間帯、あの女には完アリバイがあったみたい」

 そう。私の予想は外れた。
 捜査の結果では、カホには完全なアリバイがあったらしい。
65: 2014/07/31(木) 16:48:52.60 ID:qwj7zH160
「犯人は捕まったんですか?」

「全然。いまだに捜査中だね。 もう半年近く前の話なんだよね」

「本当に警察ってば捜査してんのかな」と私が言うと、後輩は苦笑いした。

「犯人、早く見つかるといいですね……」

「そうだね」

 私の返事は自分でも笑ってしまうほどにぞんざいだった。

「きみも気をつけて。世の中本当に物騒なんだから」

「そうっすね。オレも全身殴打とかいやですからね」

「はは、それは私もだよ」

 違和感が脳のどこかで引っかかる。
 でも流し込んだアルコールのせいで、
 その違和感は、あっという間に喉のおくに消え失せた。
68: 2014/07/31(木) 16:49:37.43 ID:qwj7zH160
「とりあえず、店出ましょうか」

 後輩に会計をまかせて、私は店を出た。
 遅れて後輩も出てくる。
 夜風が肌を突き刺してくると、不意に不安が頭をもたげた。

「今日はありがとね。私の話、聞いてくれて」

「いや、少しでも先輩の力になれたならよかったですよ」

 鼻のおくがツンとした。
 アルコールのせいなのか、私は情緒不安定になっているのかもしれない。

「ここんとこさ、私の生活めちゃくちゃでね」

「……先輩」

 気づくと視界が滲んで、目の前の後輩の輪郭さえ曖昧になっていた。
70: 2014/07/31(木) 16:50:50.17 ID:qwj7zH160
「もう、どうしたらいいのかわかんないよ……」

 知らず知らずのうちにあふれてきた涙は、なかなか止まりそうになかった。
 そんな私の手を、後輩は両手で包んでくれた。

「大丈夫ですよ、先輩」

 後輩の手は暖かかった。
 私は彼を見あげた。
 後輩はさわやかに私にむかって笑ってみせると、

「先輩、大丈夫ですよ。俺がついてますよ」

 その言葉がどういう意味なのかを聞き返そうとする前に、後輩の手が離れた。
 彼は照れくさそうに笑っていた。

「じゃあまた今度会いましょう」

「……うん」

 後輩とわかれて帰途につく。
 私は彼が握ってくれた手に自分の手を重ねた。
 彼の体温が逃げないように。
73: 2014/07/31(木) 16:51:29.24 ID:qwj7zH160
 家に帰ると、カホがいつもどおりに私をむかえた。
 父がしんでからもその笑顔は相変わらずだった。

「おかえり。今日は遅かったんだね」

「うん、まあね」

「なんだか気分よさそうだね。いいことでもあった?」

「べつに」

「この前、結婚について少し触れたけど、まだ細かいことは話してないでしょ」

 そういえば、父が亡くなってからもうすぐ半年、つまり六ヶ月が経過しようとしていた。

「今度、私のその結婚相手の人に家に来てもらおうと思うの」

「そう、どうぞ勝手に」
75: 2014/07/31(木) 16:52:12.85 ID:qwj7zH160
 この女のことなど、どうでもよかった。
 玄関に腰かけブーツを脱ぐ。
 足はすっかりむくんでしまっていたが、気分は悪くはなかった。

「それで結婚相手の人なんだけどね」


 ――って言うの。


「……え?」

 私は反射的に背後にいるカホを振り返っていた。
 カホの右手の薬指には、指輪が光っていた。
 その手は彼女の腹部に置かれていた。
77: 2014/07/31(木) 16:52:38.58 ID:qwj7zH160
「今なんて言った?」

「だから、結婚する人の名前なんだけど」



 カホがもう一度結婚相手の名前を言う、とても嬉しそうに。


 カホが言った結婚相手の名前。


 それは、私がさっきまで一緒に飲んでいた後輩のものだった。

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ライター及び編集:mana

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