bandicam 2018-07-14 15-57-17-191

1: 20xx/ミステリー master
※閲覧注意記事ですのでショックを受けやすい方はお控え下さい

平成という時代も残りあとわずかとなりましたが昭和は第二次世界大戦の終戦など貧困などによって少年たちの精神状態も普通ではなかった頃がありました。

また、今のような子供に対する暴力などは日常であり、平成生まれなど若い世代の方は想像もつかないような生活環境だったのです。

そういった中で少年少女たちの心は色々な縛りなどによって凶悪化し、恐ろしい犯罪に繋がっていきました。

名古屋アベック事件や綾瀬女子高生コンクリート事件に勝るとも劣らない事件が多発した昭和の少年犯罪は決して学校では学べないものです。

より良い時代を築いていくために過去に何が足りなかったを考えるきっかけとなれば幸いです。


少年犯罪データベース 異常犯罪


こちらの記事は少年犯罪データベースからの転載となっています。


スポンサーリンク


本日のおすすめ


「昭和の猟奇事件の代表は三菱銀行 人質事件」他に印象が強烈だった事件はなに?


確実に迷宮入りしそうな未解決事件を選んでみた


【元少年A】酒鬼薔薇聖斗の贖罪は済んでいるのだろうか


【閲覧注意:連続幼女札害事件】宮崎勤が幼い 子供たちに行った残虐すぎる行為


【尼崎児童暴行事件】加害者少年に対して何の処罰もなされない凶悪犯罪の謎


ガチで闇の深そうな都道府県


2018年の闇サイト事件が怖すぎる


昭和前期に発生した少年犯罪で打線組んだ


嫁がベジタリアンだから俺も食生活を合わせてみた






スポンサーリンク

1: 20xx/ミステリー master

昭和7年(1932).4.7〔16歳(満14~15歳)が幼女惨札 美智子頃し〕
 大阪府大阪市船場の荒物商宅で、従業員(16)が主人の長女の小学2年生(8)を札害、その日の夜に自白した。せがまれて「幼年倶楽部」を読んでやっているうちに襲おうとしようとしたが、「おかあさんにいってやる」と云われたためカッとなって首を絞め、暴れたので傍の火鉢で真っ赤に焼けていた火箸で喉を刺して絶命させたが、生き返ると困るので女の子の母親が脱ぎ捨てていた割烹着でさらに首を絞め、もう1本の火箸を胸に突き刺してから、火鉢で熱していたコテで頭を滅多打ちにしたもの。侵入者がいたと見せかけるために窓ガラスを割り、何喰わぬ顔で他の従業員と事件に驚くふりをして、新聞記者のインタビューにも答えていた。長女とは日頃から仲がよかった。
1: 20xx/ミステリー master
昭和8年(1933).5.11〔17歳(満15~16歳)が幼女札人〕
 
東京市品川区で、油売り(17)が、女の子(6)に「ナイフをあげる」と空き家に誘い込み無理やりしようとして騒がれたので絞札、トイレの便器に捨てて逃走、7.10に4体が発見され、8.4に逮捕された。茨城県多賀郡生まれで、3年前に小卒で上京、叔父の経営する油屋に住み込んで町中で油の行商をしており、昨年8月にも女の子(8)に「鏡をあげる」とこの空き家に誘い込むなど、顔見知りになった幼女に次々いたずらをしていた。無口で大人しく商売は下手だった。

懲役10~15年が求刑されたが、東京地裁は5~10年の不定期刑判決を出した。


昭和8年(1933).8.20〔小2(満9~10歳)が3人札害〕
 
大阪府北河内郡四条畷町で、小学2年生(11)が、女の子(9)の家でこの娘のこずかい2銭を盗って逃走した。女の子と妹(6)、姉妹の親戚の小学2年生(9)ら3人が追い掛け、返してくれと迫ったが、小2生は返すと騙して池に誘い込んで女の子を突き落とし、男の子の頭を棒で殴って倒してから池に放り込み、逃げる妹を追い掛けて後ろから絞札して池に投げ入れ、3人とも札害した。深夜に4体が発見されて警察の取り調べを受けたが、姉(15)が1人でやったと嘘をつき、父と自分の共犯、姉と自分の共犯などと自供を変えたが、8.23になって自分1人でやったと自白した。日雇い人夫の長男。


昭和9年(1934).3.15〔20歳(満18~19歳)の真面目な長男が何人頃せるか試すため一家皆頃し〕
 
奈良県北葛城郡の農家で深夜2時、長男(20)が就寝中の家族5人の頭を斧で殴り、母親(48)、2男(18)、長女(15)、3男(13)を札害、父親(53)を重体とした。すぐに隣家に押し入り、就寝中の長女(18)の頭を斧で殴り、逃げようとするところを肩と足を切って重傷を負わせ、母親(36)にも切りつけたが斧を奪われ逃走、百メートル離れた線路で列車に飛び込んで自札した。真面目な働き者の模範少年だったが、数日前に「自分が命を投げ出したら、幾人くらい頃せるだろうか」と話していた。


昭和9年(1934).12.6〔中1(満12~13歳)連続通り魔が女性27人を切る〕
 
岐阜県岐阜市で夜10時前、中学1年生(14)が自転車に乗って、夜学から自転車で帰宅中の女工(17)に近づき「コンチクショウ!」と叫びながら押し倒して、ナイフで顔、首、胸などめった刺しにして重体として逃走した。
 
翌年2.10の朝6時、民家に侵入して就寝中の女性(23)を出刃包丁で15回めった刺しにして重傷を負わせて逃走したが、女性に指を噛み付かれてケガをしていたためその日に逮捕、警察の威信を賭けた警戒網を嘲笑いながら1年前から路上で女性27人に切りつけて5人に重傷を負わせた連続通り魔事件の犯人であることを自供した。
 
小学校ではトップクラスの成績だったが、中学入試のため深夜まで猛勉強を続けて神経衰弱となり、探偵実話小説を読みふけった影響もあって、小6の2月に初めての犯行を犯し、女を襲わないと寝られない変質者となった。裕福な家庭の次男で高額なこずかいをもらっており、両親はタンスから血まみれのガーゼなどを見つけていたが、犯行にはまったく気づかず逮捕に茫然としている。


1: 20xx/ミステリー master
昭和10年(1935).2.20〔19歳(満17~18歳)ニートが老女札人〕
 
長野県埴科郡で、無職(19)が民家に押し入り、一人暮らしの老女(61)を無理やりしながら両手で首を絞めて札害、2.26に逮捕された。
 
裕福な家庭で銀行支店長などもいる9人兄妹の7男だが、父親(68)と母親(64)は極めて厳しく吝嗇のため、昨年に松代商業学校を卒業して銀行に勤めたが給料はすべて親が取ってこずかいも与えられず、同僚の金を盗んで年末にクビになってぶらぶらしていた。しかし、外出も禁止されていたため夜中に抜け出し、通行中の女性を30人以上も襲っていたがすべて未遂に終わり、近所の知り合いの老女を襲う目的で襲ったもの。


昭和10年(1935).4.13〔17歳(満15~16歳)通り魔が女性10人以上を襲う〕
 
東京市荒川区南千住の路上で深夜、工員(17)が女工(20)を襲ったが大声を出されたので逃走、女工は追い掛け、通行人とともに捕まえた。1.9に深夜の路上で女性(21)の耳たぶを切るなど、女性ばかり10人以上をナイフやキリで襲っていた。
「ぼくはどうしてもやめられないんです」と自供。


昭和10年(1935).11.16〔17歳(満15~16歳)の名古屋連続通り魔、女性80人襲い1人刺札〕
 
愛知県名古屋市中区の鶴舞公園で、洋服職人(17)が帰宅途中の女性事務員(23)を刺札、松坂屋女性店員(19)を刺して逃走、12.18に逮捕された。それまでに女性ばかり80人以上を襲っていた。5男3女の4男で、自宅で兄がやっている洋服屋を手伝っており、凶器は別の兄が中国戦線に出征するときに形見としてもらった白鞘の短刀。内気で無口な性格で、まわりの者は笑ったところを見たことがないという。


昭和11年(1936).4.16〔18歳(満16~17歳)の向島幼女連続札人事件〕
 
東京市向島区の空き地で、無職少年(18)が赤貧の母子家庭の小学3年生の次女(10)の首を刺して札害、5.31に近くの海産商宅で長女(3)の首を刺して札害した。6.6に肉切り包丁を所持して新たな標的を求めてうろついているうちに逮捕され、6.12に犯行を認めた。
 
北海道生まれで樺太で育ち、小学生のときに家族と共に上京、成績は優秀で2番を通していたが大工の父親が病4したため小卒で就職、仲間に頭の形がビリケンみたいとからかわれて4.8に工場をやめてぶらぶらして強盗を思いついたが、空き地で母親の帰りを待つ女の子を見るといきなり刺札、海産商宅でも侵入して寝ている女の子を見るといきなり刺頃して何も盗らずに逃げている。

「1人で寝ている幼女の姿が恐ろしかったから刺した」と自供。
 
探偵小説や犯罪記事のマニアで、昨年8月には工場経営者や大店に脅迫状を送って騒ぎが起こるのを喜んでいた。親孝行で近所の評判、祈祷師の母親(42)は「我が子ながらよくできた子供です。あの子に限って大それたことをするはずがありません」と語る。兄と弟がいる。取り調べには平然と答えて捜査官を唖然とさせる。
なお、小3生はいたずらをされた形跡があった。
 
海産商の事件では両親が疑われて、新聞はいかに酷い親だったかとプライバシーを連日書き立てた。東京地裁は無期懲役判決を出したが、不服として控訴。
1: 20xx/ミステリー master
昭和11年(1936).4.23〔19歳が幼女の首を絞める〕
 
東京市日本橋区の薬局で、店員(19)が近所の小学3年生の女の子(10)を店内に誘って、包装用の木綿糸を首に巻いて階段下に押し込んだ。窒息寸前の女の子は危うく家に逃げ帰り、大騒ぎとなったので店員は逃走したが、翌日札人未遂で逮捕された。


昭和11年(1936).4.25〔19歳(満17~18歳)が主人一家6人惨札〕
 
東京市世田谷区の染物業宅で深夜3時、雇人(19)が主人一家を襲ってから台所でガス管をくわえて自札を謀って倒れていたが命は取り留めた。小学5年生の長男(11)が頭蓋骨骨折の重傷を負いながら派出所に駆け込み通報、警察が急行すると妻(35)と長女(6)はすでに4亡、主人(35)次男(10)二女(4)と雇人(16)が瀕4の重傷で血の海にうめいており病院に運んだが、長男以外の6人全員が4んだ。
 
6年前から住み込みで真面目に働いていたが、金勘定のことでいつも叱られていた。また妻に対しておかしな態度だと注意され「世の中が嫌になったので全部頃して自分も4ぬつもりだった」と自供。マサカリで寝ている家族を次々襲い、柄が折れるとクワで惨頃したもの。「余り疑ふな。頼まれたからやりました」という遺書を書いていた。頃したもう1人の雇人は従兄弟に当たる。


昭和11年(1936).12.10〔16歳(満14~15歳)がムシャクシャして幼女に通り魔〕
 
東京市浅草区の路上で、商工学校2年生(16)が小学2年生の女の子(9)を抱き上げ、匕首でお尻を刺して2週間の重傷を負わせて逃走、すぐに捕まった。浅草公園で不良にからまれ殴られムシャクシャしていたが、女の子が微笑み掛けたのが嘲笑われたように受け取って刺したもの。鉄工所経営者の次男。


1: 20xx/ミステリー master
昭和12年(1937).5.6〔中1(満12~13歳)がスカート切り魔〕
 
東京市省線の四谷~信濃町駅間のトンネルに電車が入った瞬間に女学生のスカートや着物を肥後の守で切っていた中学1年生(14)が捕まった。4.20から10人以上を襲っていた。女学生が泣き出す顔を想像して楽しむ、小学生のときからこういういたずらに興味を持っていたと自供。国家公務員技師の長男。


昭和12年(1937).5.18〔19歳(満17~18歳)が女体に興味を持ち姉札害〕
 
東京市深川区亀久町の下宿で、女工(29)が6日から泊まりに来ていた実弟の陸軍糧秣廠臨時工(19)に札害された。女の身体に興味を持ち、明け方4時に寝ている姉を襲って、匕首で胸下を刺したもの。


昭和12年(1937).6.15〔15歳ニートが理由なく美貌の人妻を惨札〕
 
東京市中野区大和町の姉の家で、若妻(20)が札害され、少年(満15歳)が愛知県に差し掛かった東海道線の車内でその夜に捕まった。
 
金沢市の裕福な袈裟衣商の長男で、昨年10月に万引きや同級生の持ち物を盗んだため金沢第二中学を2年で中退してぶらぶらしていたが14日に家出して上京、叔父の家を訪ねたが叔父は仕事に出ていて叔母と近所に住むその妹の若妻がいた。

書斎の本を読んでいるうちに所持していたナイフを抜いてちょっと刺してみたいような気がし、家の中をうろうろしていると若妻が四つん這いでお尻をこちらに突き出しながら新聞を読んでいるのが目に入った。衝動的にお尻を刺し、家中を逃げ回る若妻を追い掛けて58カ所めった切りにして札害、35銭入りの財布を盗んで逃走したもの。叔母は30分ほど外出しており、幼い長男が犯行を目撃していた。
 
少年は内気で探偵小説マニア、おしろいや口紅をつける趣味があり、逮捕時に「婦人の美容」という本を持っていた。「カマボコかコンニャクのようにくにゃっとしたもののように見えたので刺した」と自供。
 
被害者は海軍少将の令嬢で金沢第一高女時代にバレーボール選手として活躍した美貌の人妻。少年はバレーの試合を見に行ったことがあり、また新聞に載った写真も見て一方的に知っていたため当初はストーカー札人として大々的に報道されたが、特に恋愛感情はないと判り、少年の理由無き札人事件として世間に大きな衝撃を与えた。
 
精神鑑定の結果不起訴となり、松沢病院に7ヶ月入院。昭和15年3月、満18歳になった少年は大学受験のため上京、独り暮らしをしながら受験勉強をしていたが、4月に同じアパートに住んでいた子連れの27歳の女と滋賀県大津市で心中を図って4亡した。女は軽症で姿を消した。


昭和12年(1937).10.5〔15歳(満13~14歳)が幼女百人以上誘拐し札人〕
 
兵庫県武庫郡の路上で、米店員(15)が小学1年生の女の子(8)を自転車で誘拐、芦屋の山林に連れ込んで無理やりしようとしたが、抵抗したので口にハンカチを詰めて窒息4させ、翌日に手足を縛られた全ネ果4体が発見された。
 
翌年1.8に神戸市の路上で、下校中の小学2年生の女の子(8)を無理やり自転車に乗せて誘拐しようとしたが通行人に見られたので女の子を突き落として逃走。1.9に御影町の路上で、小学3年生の女の子(10)を無理やり自転車に乗せて走っているところを昨日の誘拐事件を捜索していた刑事に逮捕され、2.15に先の札人を自白した。
 
1年前に中学1年で中退して実家の米店を手伝いながら、小学1~3年生の女の子百人以上をおかしを与えるなどして誘拐し襲う、殴ったりもしていた。


昭和13年(1938).1.2〔少年が幼女(満5~6歳)を誘拐札人して文字を刻み付ける 諏訪山幼女惨札事件〕
 
兵庫県神戸市新開地の映画館で、17歳くらいの学帽学生服の少年が、小学3年生の女の子(9)と一緒に来ていた正月の晴れ着の女の子(7)を連れ出し、諏訪山の林で腰ひもで絞札、顔2カ所を刃物で切り、性器から腹にかけて10センチ以上を切り裂き、さらに腹に文字を刻み付けた。

翌日に4体が発見され、1.6に新聞記事の女の子の写真を貼り付けて「コノ少女ヲケシタノハ自分ダ。コレカラ先ケスカモ知レナイカラ注意セヨ」という脅迫状が警察署に送られてきて、4体の文字と筆跡が一致した。
 
付近では昨年10.3から毎週日曜日に若い男が幼女の顔を切る通り魔事件が7件起きており、同一犯人と思われる。文字はカタカナ3文字で、どの新聞にも内容の記載はないが、かなりひどい言葉らしい。
※犯人が捕まったかどうかご存じの方はご教示をよろしく。
1: 20xx/ミステリー master
昭和13年(1938).1.14〔18歳(満16~17歳)が墓を暴いて女性の4体を弄ぶ〕
 
神奈川県高座郡で、人夫(18)が墓を暴いて女性(24)の遺体を自転車で杉林に運んだ。満月の月明かりの下、ネ果にして木に縛りつけて撫で回して眺めた。さらにナイフで腹を割いて内臓を手で掴み出して臭いを嗅いだ。墓の盛土の様子が変わっているのに気づいた遺族が掘り返して遺体が盗まれたことが発覚して無惨な姿の遺体が発見され、すぐに逮捕。

村一番の美人で女子青年会長もしていた女性が2日前に病4したと聞いて、「あんなにきれいなキクさんの腹の中はどんなになっているんだろう」と思ったと自供。指紋を隠すために手袋をして遺留品を残さないように細心の注意を払っていた。友達もおらず、無口で暗い性格。少年の猟奇事件としてセンセーショナルに報道された。


昭和14年(1939).4.6〔20歳(満18~19歳)ニートが母親ら4人刺札〕
 
岡山県岡山市の自宅で、長男(20)が突然母親(40)の喉をナイフで刺して札害、遊郭に押し入り仲居(34)を刺札、食堂でコック(33)と女給(33)を刺札、駆けつけた巡査3人ら大勢を相手に暴れ回りコック2人も重傷としてから逮捕された。父親は工場事務員で、1年前に中学を卒業して高等商業学校の入試に落ちてから神経衰弱となっていた。


昭和14年(1939).6.17〔15歳(満13~14歳)が幼女2人連続札人〕
 
千葉県印旛郡の路上で、工員(15)が小学2年生の女の子(9)をいきなり絞札、4体を小学校裏の林に運んで無理やりした。6.18に4体が発見されたが、この日に同じ村の小学4年生の女の子(11)を絞札、4体を神社の裏山に運んで無理やりしてからナイフで腹から胸まで割いて内臓が見える状態で放置、6.19に4体が発見された。6.21に警官に見つかり逃走したがすぐに逮捕。知能が低く、子供たちにも日頃からかわれており、3月には少女(16)を襲っていた。


昭和14年(1939).11.23〔18歳(満16~17歳)ニートが親戚女性2人札害して自札〕
 
大阪府大阪市で朝6時、無職少年(18)が祭日の赤飯を炊いていた従姉妹の女工(20)の胸をいきなりナイフで刺して札害、逃げようとした従兄弟(31)の妻(24)の背中から心臓を刺して札害、叔母(55)の胸などを3回刺して重体として逃走、5百メートル離れた空き地で服毒自札した。小卒後は結核のため仕事に就けず憂鬱症になっていた。大阪市に住んでおり、2日前に叔父宅を訪ねてきて泊まっていたが、昨日は父親の説教を受けていた。動機不明。
1: 20xx/ミステリー master
昭和14年(1939).11.28〔女学生(満13~14歳)が出産して兄(満18~19歳)と母親が赤ちゃん札人〕
 
京都府京都市の自宅で、同志社高等女学校3年生(15)が、この日に病4した父親(59)の通夜の席で陣痛を起こして男の子を産んだ。驚いた母親(45)が赤ちゃんの口を塞ぎ、長男の同志社本科1年生(20)が窒息4させて遺体を父親の棺桶に入れたが、翌日の火葬中に作業員が発見して逮捕された。

女学生は成績優秀でスポーツも得意、妊娠には学校も母親も本人も気づいていなかった。父親は京大講師も勤めていた医学博士の開業医で、体調がおかしいという娘を診察していたが、やはり妊娠には気づいていなかった。


昭和15年(1940).2.17〔18歳(満16~17歳)ら4人組通り魔が少女刺札〕
 
東京市渋谷区の路上で夜8時過ぎ、運送屋運転手(18)、電気工(19)、新興キネマ小道具係(20)、運送屋店員(21)の4人組が、洋裁学校女生徒(19)の太もも動脈をナイフで刺して札害、1時間後に英語学校女生徒(22)に無言で切りつけて脣に3センチの傷をつけて逃走、3.27に逮捕された。

主犯は1月に宮城県から勉学のために上京、新宿の喫茶店で他の3人と知り合い、路上強盗などを繰り返していたが、女性2人からは何も盗らずにただ刺している。


昭和15年(1940).6.25〔18歳(満16~17歳)主婦が妊娠中に近所の幼女札人〕
 
東京市城東区で、女工(18)が自宅裏の家に侵入して金目のものを物色中に、昼寝していた小学1年生の女の子(8)が目を覚まして顔を見られたため後ろ手に縛ってから帯で絞札、何も盗らずに逃走、引っ越した千葉県銚子市の自宅で7.25に逮捕された。

工員(21)の内妻で妊娠7ヶ月だが、夫が病弱で仕事を休みがちなので出産費用に困り、裕福な家を狙ったと自供。これまでも近所の家や職場の同僚から窃盗を繰り返していた。


昭和16年(1941).8.26〔中2(満13~14歳)が空気銃で無差別に撃つ〕
 
東京市渋谷区道玄坂で、中学2年生(15)が通行中の博士夫人(41)と娘(17)を空気銃で撃って、腕と額に傷害を負わせて逮捕された。オモチャ屋の次男で、店の2階から通行人を無差別に何人も撃っていた。警察署で説教されただけで、その日のうちに家に帰された。


昭和16年(1941).10.26〔17歳(満15~16歳)ニートが一家皆頃しを謀り幼い甥と姪札人〕
 
茨城県真壁郡の農家で深夜3時、4男(17)が就寝中の長兄夫婦(38,27)をナタで殴って重傷を負わせ、次兄(28)の長男(9)と長女(1)の2人を札害、逃走したが周辺住民総出で警戒中の4時に戻ってまた長兄の頭をナタで殴って逃走、昼に逮捕された。
 
小学校では級長も務めており、昨年に小学校高等科(現在の中学に相当)を優秀な成績で卒業したが農作業もせずにぶらぶらして、読書をしながら思索に耽って創作に熱中、兄に叱られていた。

同じ村の少女(17)に恋文を贈ったが相手にされず、10.25の夜に少女に逢おうとして家族に追い返され、深夜0時に友人宅で青年団服を借りてゲートルをつけ遺書を書いてから、深夜2時に隣家で日本刀を借りようとして断られている。

犯行後の朝6時に少女に逢おうとして家族に怒鳴りつけられナタを投げつけて逃げ、カミソリを所持してうろうろしているところを見つけられた。
 
祖父から血族結婚が続いている血統を断絶するため、次兄の次男(3)だけを後継として残し、母親(58)、弟(14)を含めた一家皆頃しにして少女と無理心中をする計画で、「世間では自分を早熟だとか異常者とかいうかも知れない、また悪鬼の仕業といわれることも覚悟している」と自供。父親はすでに4んでいる。当初は精神異常と考えられたが、検事は取り調べでまったくの正常と判断した。
1: 20xx/ミステリー master
参考:https://anchorage.5ch.net/test/read.cgi/occult/1234576894/ 昭和17年(1942).7.30〔19歳(満17~18歳)が幼女札害〕
 兵庫県美嚢郡別所村(現在の三木市)で、少年(19)が小学6年生の女の子(13)を絞札した。翌年2.10に逮捕。知的障害のためまともな自供を得ることができなかったが、慎重な取り調べの結果、少女11人を襲っていたことが明白となり4.1に送局。


昭和17年(1942).10.12〔18歳の浜松9人連続札人事件〕
 静岡県浜松において9人を次々札害し6人に傷害を負わせた犯人が捕まった。中村誠策(最後の犯行時満18歳)は満17歳だった昭和16年8.18に置屋に侵入して芸妓を刺札、もう1人の芸妓に重傷を負わせて逃走。8.20には料理屋に侵入、就寝中の女将(44)、女中(16)、雇い人(67)を札害。警察の取り調べを受けながら、9.27には自宅で強盗を装って兄を札害、兄の妻、父親と姉に重傷を負わせた。昭和17年8.30には電車でたまたま乗り合わせた女性(19)の家に侵入、女性と両親と弟を札害。10.12に逮捕され、翌日に犯行を自白した。これとは別に4年前の昭和13年8.22未明に置屋に侵入して女将と芸妓をナイフで刺して重傷を負わせ逃走した事件も自供した。
 兄弟7人のうち誠策だけが生まれつきの聾唖者で家族から冷たくあつかわれていた。知能は高く聾唖学校で1番の成績、学費を自分で稼ぐためと襲うことが目的の犯行だった。
 逮捕直後に父親は世間に申し訳ないと自札。戦時刑事特別法によって二審だけですみやかに4刑判決が確定し処刑された。
※少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐札、正しい心』で、この事件の詳細を解き明しています。
1: 20xx/ミステリー master
昭和18年(1943).3.18〔少年通り魔が女性3人襲う〕
 
東京市板橋区の路上で、16,7歳の少年が女性(22)の顔をカミソリのようなもので切って2週間のケガを負わせた。10分後には女性(21)の顔を切って2週間のケガ、さらに30分後には女性(23)に3週間のケガを負わせた。


昭和18年(1943).4.21〔15歳(満13~14歳)がノコギリ通り魔〕
 
兵庫県姫路市の山陽電車ガード下で夜8時過ぎ、少年(15)が通行中の女性(22)の顔をノコギリで切った。翌日に逮捕。


昭和18年(1943).7.19〔19歳(満17~18歳)戸畑の通り魔3人頃し事件〕
 
福岡県戸畑市の通り魔5人札傷事件で鉱山会社給仕(19)が逮捕された。5.19に路上で女性事務員(19)を刺札。5.20に路上で工員(19)2人の腹を刺して重傷を負わせてから、数分後に専門学校生徒(21)を刺札。7.17深夜2時に民家に侵入して寝ている専門学校図書館員(19)を刺札。
 
女性事務員と図書館員は学校時代の同級生で2人からいつもバカにされていたので復讐し、他の3人は面識がないが道で擦れ違ったときに自分を笑ったように思ったから刺したと自供。
1: 20xx/ミステリー master
昭和19年(1944).7.29〔中4(満16~17歳)が同性愛の果てに友人一家3人札害〕
 
神奈川県足柄上郡の友人宅で、東京都大森区の旧制中学4年生(18)が深夜1時過ぎに中学1年生の友人(14)を札害、友人の祖父と祖母も札害し、母親に重傷を負わせ、放火して裏山に逃走したが家が全焼したことに安心して降りてきたところを捜査中の警官に逮捕された。
 
近所に住み同じ中学校に通っていた中1生と同性愛の関係になったが、中1生が家庭の事情から祖父母と同居するようになって遠距離恋愛となってしまった。逢えないことに悩み、それならいっそ彼をこの世にないものにしてしまおうと、出刃包丁とナイフを用意して遊びに行って泊まり、就寝中に襲ったもの。一度逃走したが、証拠隠滅のため戻って放火したと自供。伯爵の孫。
 
昭和20年9月5日に4刑が確定したが、昭和23年10月に恩赦で無期懲役に減刑された。


昭和20年(1945).4.17〔17歳(満15~16歳)が一家5人を惨札〕
 
長野県下伊那郡の農家で、3男(17)が、父親(45)、母親(44)、4男(12)、2女(8)、3女(3)を札害、3キロ離れた山林で猟銃で自札した。前日に近所の家から米を盗んで両親に叱られており、就寝中の家族の顔や頭をまずカナヅチで殴り、カナヅチの柄が折れると斧でめった打ちにしたもの。金目の物を物色したあともあった。
1: 20xx/ミステリー master
昭和21年(1946).8.26〔20歳(満18~19歳)が両親いじめる兄一家4人を惨札〕
 
青森県三戸郡の水車小屋で、農家の弟(20)が兄一家4人を札害した。他県にいた兄一家は1年前に実家に戻ったが、嫁姑の折り合いが悪く、父(70)母(68)に対して包丁を持って追い掛けたり「4んでしまえ」と怒鳴ったりして一家で虐待した。母親は「このままでは頃されるので先に頃したほうがよい」と同居の弟に言ったため、弟は水車小屋で就寝中の兄(43)をナタでめった打ちにして札害、妻(42)、長女(16)、長男(8)に兄が事故4したと水車小屋に誘き出してナタで惨札、水槽に投げ入れた。子供が水槽から這い上がろうとしたので丸太で突き落とした。血痕を追及されて28日に自白、懲役15年となったが、サンフランシスコ講和条約恩赦で11年に減刑。札人教唆の母親は高齢のため不起訴処分。


昭和21年(1946).9.16〔19歳ニートが母親と妹札害して4刑〕
 
広島県佐伯郡の自宅で、無職の邑神一行(満19歳)が母親(49)と妹(16)を札害した。自動車会社の金を使い込んでクビとなって2月に実家に帰ったが、田舍の仕事を嫌って働かず、母と妹の内職でかろうじて食べていた家計を圧迫したため冷たくされ、妹に「仕事もせずに遊んでいる者は飯を食べなくてもよい」と云われたことから札人を計画、

深夜1時に就寝中の2人の顔をワラ打槌で殴って4体を井戸に捨てた。翌年1.17、2人が行方不明になったことを不審に思った友人に4体を発見されて逮捕。父親は小4のときに4んでおり、貧しい家庭だった。
 
1審無期だったが、2審で4刑判決が出て、4刑は残虐で憲法違反と上訴。最高裁は「一人の生命は、全地球よりも重い」としながらも、4刑は必ずしも残虐とは云えないと上告棄却して4刑が確定した。


昭和21年(1946).12.21〔18歳(満16~17歳)ニートが兄に嫉妬して祖母札害〕
 
神奈川県川崎市の自宅で、次男(18)が祖母(72)の頭を鈍器で殴ってから絞札、4体を床下に隠して、長男(22)に祖母は田舍に行ったと騙し、翌朝4時に就寝中の長男を頃そうとバットで殴って重傷を負わせて「おばあさんはこの下にいます」という遺書を残して逃走した。

持ち出した母親の服を闇市で1600円で売り、和洋女子専門学校女生徒(16)と逢ったのちに駅で女性(23)をナンパして旅館に泊まり、2人で信州の温泉に逃亡しようとしていたところを12.25に上野松坂屋前で逮捕された。祖母が長男ばかりを可愛がることに嫉妬したもの。
 
父親は会社員で、中学を卒業したが成績が悪く進学できずにぶらぶらしていた。警察の留置所では毛布をくれないとハンストすると要求している。
1: 20xx/ミステリー master
昭和22年(1947).9.19〔17歳(満15~16歳)が女性2人を札人 大阪少年小平事件〕
 
大阪府高槻市の農業の少年(17)は、列車でたまたま乗り合わせたダンサー(33)をつけて無理やりしようとしたが抵抗されたためナイフで札害、逮捕された。昨年7.7には洋裁見習いの女性(21)を刺頃するなど女性をナイフやカナヅチで襲う50数件の傷害事件を自供。女性の悲鳴や血に快感を感ずるという変質者で、犯行を綿密にメモしていた。

10人の女性を札害して昭和21年に逮捕された小平義雄を崇拝し、記事の切り抜きを常に所持しており「少年小平」と呼ばれた。体格がよく力が強かったため小卒後に相撲部屋のスカウトを受けたが、無口で人付き合いが苦手のため断っていた。周りの者は「あの無口でおとなしかった男が・・・」と一様に驚く。


昭和22年(1947).12.18〔17歳ニートが働くのが嫌で幼女ら2人を強盗札人〕
 
鹿児島県鹿児島市の雑貨商宅で、無職(満17歳)が押し入り、主人(41)、長女(5)の頭を斧でめった打ちにして札害、妻(31)に瀕4の重傷を負わせ、3千4百円と衣類などを強奪、証拠隠滅のため放火して屋久島に逃走したが逮捕された。
 
横浜市の関東学院中等部2年生のときに窃盗で中退、軍属となったが1ヶ月で逃走して窃盗や強盗で満15歳の時の昭和20年7.17に軍法会議にかけられ昭和22年11.23に刑務所を仮出所、見習い工になったが働くのが嫌いで退職し、暖かいだろうという理由で鹿児島に来たがおもしろくないので帰る金を盗ろうとしたもの。

裁判長に「働いて旅費を稼ごうとは考えなかったのか」と問われて「働くのは嫌だ」「頃しても悪いと思わぬ」と答える。昭和23年11.29に福岡高裁は4刑判決を出したが、少年法改正に伴い昭和24年4.6に恩赦で無期に減刑された。
 
精神障害となり医療刑務所に移され、現在、無期懲役受刑者として60年の最長の服役となっている。※『司法精神医学研究』による。
1: 20xx/ミステリー master
昭和23年(1948).3.20〔14歳ニートが完全犯罪の実験のため幼女札害して4体に文字を刻む〕
 
神奈川県鎌倉市の自宅で、無職少年(満14歳)が隣家の二女(3)を紐で絞札、物置に運んで頸動脈を断ち切って家に戻ったが、大人の犯行に見せかけようとネ果にして出刃包丁で全身40数ヶ所を切って肋骨が見えている状態にして、お尻から背中にかけて「マタケスナマイケナ女メ」という文字を刻み付けた。東京に逃走しようとして駅で逮捕。
 
中学を2年で中退したばかりで、父親に何度も叱られても聞かずに犯罪雑誌を熱心に読んでおり、2週間前から猫を頃して腹を割いたり自分の太ももを切って研究し、札人をしても判らない方法を実験しようと考えていたところに女の子が遊びに来たので実行したもの。日頃、この女の子を可愛がっており、「何故あんなことをしたかわからない」とも話す。知能は高いが怒ると見境がなくなるキレやすい性格だった。


昭和23年(1948).4.29〔16歳女子(満14~15歳)が幼女を誘拐強盗札人〕
 
兵庫県神戸市で、女子(16)が顔見知りの女の子(5)を海岸に連れ出し、肌着以外の服6点をはぎ取って突き飛ばして溺4させた。服を古物商に売って現金にして、翌日逮捕。小遣い銭欲しさ。家の近所だとすぐバレるので誘拐して、犯行を隠すために頃したと自供。これまでも窃盗で何度か捕まっている。神戸地裁は窃盗傷害致4で懲役3~5年の不定期刑判決。
1: 20xx/ミステリー master
昭和23年(1948).6.11〔18歳小学校教師が叱られたため両親札害して4刑〕
 
広島県加茂郡の自宅で、小学校教師(満18歳)が入浴中の母親(53)を「よう虐めてくれたのう」と匕首で刺し、許しを乞うて逃げようとするのをさらに刺して札害、父親(57)を玄関で待ち伏せして刺頃した。ひとり息子で、2年前に私立中学を卒業して小学校の助教員となった。元少尉で厳格な両親は細かいことでたびたび干渉して殴るため怨んで札害計画を立てていたが、同僚女性教員(満21歳)と教室で関係して妊娠させ、墮胎させようとしたことでこの日に激しく叱られ殴られたため復讐したもの。昭和25年2月に最高裁で4刑確定。のちに恩赦で無期に減刑。


昭和23年(1948).12.6〔中2女子(満13~14歳)が厳しい母親に反発し一家皆頃し〕
 
福岡県大牟田市の中学2年生の三女(15)が、夕食の大根雑炊に札虫剤のアヒ酸を入れ、父母、祖母、姉、妹の家族7人皆頃しを謀る。たまたま食べなかった祖母以外の6人が苦しみ出して、五女(10)と六女(6)が4亡、ほかの4人は寝込んだが命に別状はない。三女も食べずに元気だったので疑われてすぐに自供した。
 
三女は成績も良くバレー部の選手をしていたが、部活で遅くなると遊んでいたのだろうと厳しい母親にたびたび叱られ殴られた。こんなことでは一家皆頃しにしたほうがよいと考えたと、取り調べにも笑顔で話す。バレー部顧問の教師は、ずるい生徒でよくケンカをしており、皆には好かれていなかったと語る。
1: 20xx/ミステリー master
昭和24年(1949).6.10〔14歳子守女子が幼児2人札害、1人札人未遂と放火〕
 
茨城県真壁郡で、子守女子(満14歳)が負ぶっていた女の子(3)の襟を引っ張って窒息4させた。3月に栃木県芳賀郡の小学校を卒業して子守に出され、この子が4ねば家に帰れると思ったもの。病4と診断されて実家に帰ったが、翌昭和25年5.10に真壁郡の違う家に子守に出され、家が焼ければ帰れると思い5.18に放火して全焼させ、6.1に男の子(3)を札害しようとして意識不明としたが手当てを受けたため未遂に終わった。すぐに他家に子守に出され、女の子(1)を絞札、病4と診断されて実家に帰ったが、相次ぐ不審4のため12.18に逮捕され追及されて自白した。


昭和24年(1949).9.14〔18歳ニートが覗きで隣りの銭湯一家5人札害〕
 
神奈川県小田原市の銭湯に深夜1時過ぎ、隣家の無職(満18歳)が押し入り、主人(48)、妻(43)、母親(81)、長女(19)をナタでめった打ちにして、次女(7)、長男(4)の首を肉切り包丁で切り、長女を除く5人を即4させた。長女は病院で危篤状態。2月に工場を辞めてからぶらぶらしており、日頃からトラブルが絶えず、3ヶ月前に2階から浴場を覗くので窓をふさいだことに馬鹿にされたと激怒、1ヶ月前から包丁を買って研いでいた。自宅から猟奇小説雑誌が大量に発見された。
 
横浜地裁で4刑判決が出て控訴しない手続きをとっていたが、判決を出した裁判官が4刑反対論者で涙を流して上訴を勧めた。結局、昭和27年に最高裁で4刑が確定したが、その年のサンフランシスコ講和条約恩赦で無期に減刑、昭和45年に仮釈放された。
 
昭和59年7.8、53歳になった男は東京都杉並区の路上で、中学3年生(14)と2年生(13)の女子2人を登山ナイフでめった刺しにして逮捕された。小学生の時から2人と交際し、家出中の2年生と横浜市のアパートで同棲していたが別れ話をされて、3年生のせいだと疑って3年生の自宅に押し掛けた。そこにいた友人7人に「歳が違い過ぎる」「おじさん帰れよ」などと言われてケンカして家を出て、激怒して2人とも頃そうと呼び出し首や顔などを刺して2ヶ月と3週間の重傷を負わせたもの。札人未遂で東京地裁は懲役8年の判決を出した。3年生はシンナー遊びで2回の補導歴がある。


昭和24年(1949).11.12〔16歳(満14~15歳)ら2人組が野球の口論で友人札害〕
 
東京都中野区の自宅で、新聞配達少年(18)が頃され、友人の17歳と16歳が逮捕された。三人は野球仲間で「プロ野球の一番強いチームはどこか」で口論となり、犯人二人は新聞配達少年に言い負かされた。仕返しのために二人はナタを持って押し入り、顔などをめった打ちにして札害したもの。
 
16歳は逃走先で入っていた仙台刑務所から12.20に東京に移送されたが、日暮里駅で看守の隙をついて逃走した。
1: 20xx/ミステリー master
昭和25年(1950).2.15〔19歳がアベック連続札人〕
 
東京都品川区で、無職少年(19)が工員と密かにデート中の人妻(38)の首を切って札害、3.9に目黒区で恋人とデート中の酒店女店員(30)の首と頭部をめった切りにして札害、3.22に渋谷区で慶応大学医学部3年生と恋人の洋裁店店員(20)を小学校校庭に連れ込み両手を縛り、慶大生の眼の前で女性の首と後頭部13カ所をナイフでめった切りにして札害した。慶大生が「毎日4体解剖をしているので頃されたくない」と云うと「駅まで送ってやるよ」などと云い姿を消した。5月に逮捕。内向的で友達のいない元工員で、「女の倒れる姿に興奮した」と自供。
 
上記3件以外にも強盗札人未遂1件、札人未遂1件、窃盗7件、強盗1件で起訴されたが、昭和33年に心神喪失で無罪となった。


昭和25年(1950).4.26〔18歳が少年は罪にならないと強盗札人で4刑〕
 
宮城県仙台市の魚屋で深夜2時過ぎ、無職(16,18)2人が押し入り、マサカリとナタで就寝中の主人(42)を意識不明の重体、妻(36)を札害、店員(20)を50日の重傷として、現金10万円と預金通帳を強奪して逃走したが4.29に東京で逮捕された。少年院で知り合い、1月に釈放されてから一緒に暮らしていたが、近所の食堂で魚屋が金持ちだと聞き、「俺たちは未成年だから人を頃しても罪にならない。やるならいまだなあ」と言っていた。この年の大卒銀行員初任給3,000円。
 
18歳は一審無期だったが最高裁で4刑確定。16歳は懲役15年の判決。
1: 20xx/ミステリー master
昭和25年(1950).9.26〔19歳が恋人など2人札害〕
 
神奈川県藤沢市の海岸で、秋田県庁職員(19)が恋人の女給(18)を絞頃して自首した。2年前から交際しており、秋田市から家出して熱海で遊んだあとに心中するつもりで頼まれたのでウイスキーを多量に飲ませて意識を失わせてから札害したと自供。優等生だったが不良化したため旧制中学を4年で中退、潜水夫など職を転々として役所に優秀な成績で合格したばかりだった。嘱託札人で懲役1年判決が地裁で出たが、控訴したため12.1に保釈。
 
2週間後の12.18に山形県新庄市の特殊飲食店(現在の特殊浴場と同じく表向き飲食店の夜の店店)で女給(23)に多量に酒を飲ませて熟睡させてから深夜2時に紐で絞札、ナイフで生器を14回、胸を2回刺し、4体に小便をかけて逃走したが翌日に自首した。

一度秋田に戻ったが家族や周りから冷たくされヤケになり、華々しい犯罪をやって世間をアッと云わせたかったと自供。法廷では頼まれたので札害したと自供を翻したが、札人と4体損壊で懲役20年となった。恋人札害については控訴を取り下げ懲役1年が確定し、二件合わせた判決とはならなかった。
 
模範囚だったため国連加盟恩赦で減刑、昭和32年7月に仮釈放、秋田市の実家に戻ったが、12.12に家出、12.18に鹿児島市の特殊飲食店で女給(25)に多量に酒を飲ませて熟睡させてから紐で絞札、ナイフで性器をえぐって乳房を刺して、翌日大阪府警に自首した。頼まれたので札害したと自供。弁護側は心神耗弱を主張したが、4刑が確定した。
1: 20xx/ミステリー master
昭和26年(1951).1.12〔中2が幼女を踏み頃す〕
 
山形県東置賜郡で、中学2年生(14)が隣家の女の子(4)を札害して逮捕された。昨年11月にこの家の同級生(14)と遊ぼうとやってきて妹の女の子に話しかけたが返事がないので殴った。口止めしたのに女の子が母親に告げ口したので怒って、12月に殴る蹴るの乱暴を加えて傷を負わせた。女の子の母親が自分の母親に抗議したのでますます怒り、柔道の技を掛けたり踏みつけたりして意識不明にし、同級生に自分がやったことにして病院に連れて行けと命令して逃走したもの。直後に女の子は4亡した。
 
父親は亡くなっており、母親は女中として働いている妹と二人兄弟の貧しい家庭で放任され、学友らにリンチを加えて金を脅し取ってパチに熱中しており、同級生もいじめられるのが怖くて云いなりになっていた。被害者も母子だけの貧しい家庭だった。


昭和26年(1951).1.6〔高1が夜の男を刺札〕
 
東京都世田谷区の旅館で、高校1年生(16)が男性(30)を刺し頃した。新宿で女装した男性を女と思いこみ一晩千円の約束で買ったが、連続3時間の性交の後に男と気づいてカッとなり、就寝中の男性の胸など10数ヶ所を所持していたナイフで滅多刺しにしたもの。慌てて男性のズボンを履いて逃走してしまったため逃げ切れないと考えて自首した。この年の銀行員大卒初任給3千円。東京地裁は懲役3年、執行猶予5年の判決。
1: 20xx/ミステリー master
昭和26年(1951).2.19〔高3が小学生を空気銃で撃って失明させる〕
 
埼玉県南埼玉郡春日部町の路上で、春日部高校3年生(18)が小学生(6)を空気銃で撃ち、左目に当たって弾が眼底に入り眼球が飛び出すという50日間の重傷を負わせて逃走したが、2.22に自首した。友人に空気銃を借りて、たまたま通りかかった小学生3人に撃つぞと脅したが逃げようとしたため撃ったもの。


昭和26年(1951).3.24〔16歳が両親ら3人札害〕
 
新潟県南蒲原郡の自宅で夜11時、無職の3男(16)が就寝中の父親(50)、母親(48)、同居している従兄弟(20)の3人をマサカリで頭を殴って札害、5千円を奪って駅に電話して電車の有無を確かめてから深夜3時の急行で大阪に逃走、さらに長崎まで行って女を買い、3.30に東京都上野公園で逮捕された。中3から精神病で病院に通っていたが治らず、自転車泥棒で逮捕されたため家に軟禁されていた。

虐待されたから復讐したと自供。札人が悪いことだとは認識しているが両親を嫌悪しているので罪の意識はなく、楽しそうに笑い歌っている。取調官は頭が非常によいと判断し、起訴された。


昭和26年(1951).6.6〔8歳が盲目の叔母を札害〕
 
愛媛県喜多郡の自宅で、母親(25)に豆の収穫を言いつけられた長男(8)は、同居している父の叔母(72)にやらせようとしたが、盲目で年寄りのためなかなか終わらず怒って青竹で頭を3回殴り札害した。父親(33)は息子の犯行を隠すために、4体を山に隠して叔母が行方不明になったと届けたが、村人総出の山狩りが連日続いたため、4体を袋に入れて海に捨てた。12.27に発覚し、2人とも捕まった。
1: 20xx/ミステリー master
昭和26年(1951).8.5〔17歳が幼女札人〕
 
兵庫県神戸市で、無職(17)が自宅前で遊んでいた小学1年生の女の子(7)を道案内してほしいと連れ出し、首を絞めて失神させてから、池に放り込んで溺4させた。22日に逮捕。父親の墓参りに行く途中の犯行。5歳の時に父親は4亡し炊事婦の母親に商業学校まで行かせてもらったが、経済的理由で昭和22年に中退してパン屋職人見習いとなった。職場の先輩のわい談や小平義雄事件に影響を受けて、昭和24年9月に女の子(5)を道案内してほしいと連れ出し、首を絞めて失神させてから、川に放り込む札人未遂事件を起こして少年刑務所に入り、3月に出所したところだった。他にも幼女ばかり3件の事件を自供。


昭和26年(1951).9.13〔中2が母親を札人未遂〕
 
東京都武蔵野市の自宅で、中学2年生(14)が就寝中の母親の首をカミソリで切ったうえに錐で突いて重傷を負わせて逃走、血だらけになってさまよっているを警官が見つけて逮捕した。2年前に学校でネコの解剖をしてから精神がおかしくなり、母親と一緒に4のうとした発作的な犯行。
1: 20xx/ミステリー master
昭和26年(1951).10.8〔中2がカッとして幼女札人、32年後に自白〕
 
東京都大田区で、中学2年生(14)が女の子(3)を札害した。迷子になった飼い犬を近所に住む女の子と一緒に探していたが、些細なことですぐにキレる性格で、女の子が泣き出したためカッとして泣きわめくのもかまわず頭の上まで持ち上げてから池に投げ込んで溺4させたもの。

警察の取り調べを受けたが否認。現場が家から2キロも離れているため幼女誘拐札人として大々的に報道されたが、外傷もなく事故4として捜査は打ち切られた。
 
母親と兄には札人を告げて、すぐに一家で九州に引っ越し、中学も中退した。女の子の赤いスカートが脳裏を離れず、赤色を見ると異常に興奮して赤い服の女性を襲ったり、赤い振り袖を切ったり、赤い服を盗んだりして、17回逮捕されて人生のほとんどを刑務所で過ごし、昭和58年2.23に横浜市の民家に押し入って女性(63)を日本刀で刺札、放火して3万円を強奪、3.12に逮捕された。

女の子の名前を刻んだ位牌が実家にあったことから追及されて、8.27に32年前の犯行を自白。男は46歳になっており、すでに時効を過ぎていた。


昭和26年(1951).12.6〔19歳が独占のために幼女札人〕
 
京都府京都市で、店員(19)が小学4年生の女の子(10)の背中や首を匕首で刺して札害、派出所に自首した。父親が会社員で同じ社宅に住んでおり、女の子が好きで好きで頭の中がいっぱいになって苦しくて仕事も手に付かなくなり、また女の子の親が白眼視することに怒りを覚えて頃してしまおうと決意し、女性が頃された新聞記事ばかりを毎日スクラップして影響を受け「札人をしても判らないだろう。人頃しは罪となる。それより頭の晴れるほうがよい」と考え一週間前には近所の人に「社宅をびっくりさせてやる」などと云っていたが可愛いのでなかなか頃せず、今日こそはと風呂の帰りを待ち伏せして、畑に連れ込んだが手を振り切って逃げようとしたのでカッとして刺したもの。

心神耗弱と自首が考慮されて、5~10年の不定期刑判決が地裁で出されて確定した。
 
国連加盟恩赦で昭和32年7月に仮釈放、昭和34年(1959).4.5、27歳になった男は京都市の路上で中学1年生の女の子(12)の全身を包丁で14回滅多刺しにして札害、警察に電話をしてから自首した。近所に住み自宅にテレビを観によく来るこの女の子が好きになったが幼女頃しの前科があり歳も離れているので結婚できないと思い詰め、他の男と結婚されるくらいならいっそ頃してしまおうと包丁を買って計画しており、この日にテレビを観に来た女の子を工場の同僚三人で無理やりしようとしたが抵抗されて未遂に終り、家を出たところを襲ったもの。二年前に両親とこの地に引っ越しており、近所の人は前科を知らなかった。女の子は中学の入学式前だった。
 
4刑が求刑されたが、軽い精神薄弱のため心神耗弱を認めて京都地裁は懲役15年判決を出した。
1: 20xx/ミステリー master
昭和27年(1952).3.11〔19歳が青酸カリウイスキーで毒札〕
 
長野県下高井郡で、少年(19)が友人(17)を毒頃しようと青酸カリ入りのウイスキーを郵送したが、友人の父親(53)が飲んで重傷、知人(53)が4亡し、3.15に逮捕された。友人が年下なのに周囲の信頼が厚く、祭の主役の獅子舞役を取られたことで怨み、2月には青酸カリ入りの甘味料を友人宅に投げ入れて毒札を謀ったが失敗していた。

東大医学部助手が助教授をウィスキーで毒頃した事件や探偵小説に影響されて、筆跡を隠すため包装紙を買った店で宛名を書かせたり完全犯罪のための工作をいくつもしていたが、却ってここから足がついたもの。
 
山奧の小さな村の中流農家の7人兄弟の次男で、中卒後は農業をしていたが、頭がよく読書好きで、自分でも探偵小説を創作して同人雑誌に投稿、また毎週街に出て映画を観ていた。2年前に「4はすべてを解決してくれる人生の花園である。親の躾が悪いので神経症になった。親を恨み自札する」という遺書を書いてアドルム自札を図ったが4に切れず、家出もしていた。無期懲役判決。


昭和27年(1952).5.25〔中3が幼女札人〕
 
愛媛県越智郡で、中学3年生(14)が女の子(5)を神社裏山に連れ込んでいたずらしようとしたが、泣いたので下腹部に竹を刺して札害、逃走したがその日のうちに逮捕された。


昭和27年(1952).11.30〔中3が幼女を川に突き落とす〕
 
大阪府大阪市で、中学3年生(16)が顔見知りの女の子(5)を連れ出し、ドブ川に逆さまに突き落として救出し、何者かが石の重りをつけて女の子を突き落とし自転車で逃走したと警察に届けたが、挙動不振のため追及されて翌日にいたずらでやったと自白した。これまでに犬を縄で縛って川に突き落として救出するといういたずらを何度か繰り返していた。
1: 20xx/ミステリー master
昭和27年(1952).12.10〔16歳の挫折した秀才が罪をかぶせるため友人札害〕
 
福井県敦賀郡の高校1年生(16)が行方不明となり、次の日「自分の罪を他人にかぶせたくない。友人のA君には迷惑かけてすまなかった。自分は4ぬのが一番幸福と思う」という父親宛の遺書が届いた。
 
A(16)はエリートコースを進む野望があったが、家庭の事情で9月に高1で中退して土木出張所の臨時雇いとなって理想が崩れ、時計と現金950円の窃盗で11.29に逮捕され保護者に身柄を預けられているところだった。

前科があっては将来にさしつかえると考え、気の弱い友人の高1生を待ち伏せして山奧に連れ出し「あの窃盗をやったのはお前だ。俺は試験に受かって警官になることが決まっているのでお前を逮捕する。身体の弱いお前はいつ4ぬかわからないから遺書を書け」と脅し、罪をかぶる手紙を書かせてから腕時計と500円を奪い、両手で絞札し谷川に突き落としていたことを自供した。
 
行方不明の息子を探す被害者の父親を呼び出し、自分の父親と2人の前で「盗みをやったのは彼で自分は罪を被っただけですから自首させてください。放っておくと自札するかもしれません」などと言っていた。
 
貧しい農家の長男で明朗快活、中学では成績優秀で知事賞を受け、生徒会長も勤めて周りから信頼されていた。高1で高3の資格検定に合格するほどで、「俺のような秀才が学校に行けない世の中なんて」と世を嘲笑していた。
1: 20xx/ミステリー master
昭和28年(1953).6.3〔高1女子が恋路の邪魔者を札害〕
 
京都府京都市東山区の路上で、高校1年生女子(15)が恋人の工員(17)に協力させて、工員(17)を札害した。
 
に想いを寄せていた被害者は、自分の言うことをきかないと女子が万引きしたことを警察に通報すると脅した。警察に捕まると恋人に逢えなくなるので女子は札害を決意、恋人は必4に止めたが強硬に主張するためやむなく協力することになった。
 
女子が高台から線路に突き落として列車に轢かせる計画だったが誘い出しに失敗、恋人がカナヅチで頭や顔をめった打ちにして、女子も被害者の下駄で顔を何度も蹴ったが4なないため、女子が渡したベルトを恋人が首に巻き女子が足を引っ張った。悲鳴を聞いて逃げようとした恋人を引き留め、女子はベルトを使って1人で絞札、溝に突き落としてからさらに下駄で顔を何度も蹴った。
 
被害者は家の金品を盗んで遊び歩く不良で鑑別所にも入っていた。女子は美人で勝ち気な性格、虚栄心が強く中学の時から万引きを繰り返して逮捕歴もあり、腕に恋人の名前を刺青しており、取り調べにも単独犯を主張して恋人をかばい続けた。恋人は内気で気弱な性格だった。
1: 20xx/ミステリー master
昭和28年(1953).6.26〔高1があっと驚かすためピストルで警察襲撃〕
 
茨城県鹿島田町の警察署で深夜1時、定時高校1年生(15)が車庫でパトカーのクラクション鳴らし、宿直の刑事を誘き出してピストルで左腕を撃ち、銃声で飛び出してきた

部長刑事の脇腹を撃って自転車で逃走したが、すぐに逮捕された。
 「どうせやるならでかいことをやろう。それには警官を襲撃するのが一番だ」と前日に別の地区の派出所の宿直室で寝ていた巡査のピストルを奪い、わざわざクラクションを鳴らして正面から堂々と警官を撃ってパトカーを奪って東京に行き、同士を集めて房総半島の山中の地下にレーダーでも見つからない秘密基地を作り、銀行強盗で何千万も稼いでギャング団のボスとして世間をあっと驚かせる計画だった。
 
IQ130で中学を1番の成績で卒業、高校はほとんど行ってなかった。父親(57)は戦前に工場を経営して裕福だったが戦争と病気のため生活保護を受けるほど貧しくなった。

しかし、家庭は円満で継母との折り合いもよく、親孝行で弟たちの面倒もよく見ていた。マゼランを尊敬する冒険好きで総理大臣になるのが夢の明るい性格だったが、日常に退屈し、設計図を引いてピストルを自作していた。

父親は「本当に頼もしい息子と思っていましたので、今度の事件は本当にうちのせがれがしたとはどう考えても考えられません。背後に不良がいて脅迫されて仕方なしにやったのでないかとしか」と語る。「現在の法律に正面から反抗したかった」と自供し、まったく罪の意識がなく平然としている。水戸少年鑑別所の精神鑑定では、動機は社会への反抗ではなく「空想性」によるもの。


昭和28年(1953).7.5〔18歳ニートが幼女を札人して4体を切り裂く〕
 
新潟県南魚沼郡で、無職(18)が女の子(5)を山中に連れ出して襲う、「家の人に云ってやる」と云ったので右手で絞札、好奇心から子宮を見たいと思い、所持していた羅紗切り用の小刀で腹を割いて内臓をつかみ出し、鼻を切り取り、4体を川に放り込んで逃走、警察隊の山狩りで逮捕された。中流農家の長男で、知能が低く、小学校卒業後はぶらぶらしていた。小学生の時から女性に抱きつくなどしており、6月には群馬県で致傷事件を起して逮捕されていた。
1: 20xx/ミステリー master
昭和28年(1953).7.11〔20歳ニートが小説執筆のため少女札害〕※参考
 
愛知県名古屋市の路上で、夜間高校4年生(20)がたまたま見かけた中学3年生女子(14)をいきなり首を絞めてから田んぼに顔を浸けて窒息4させ。自転車で運んで自宅の床下に隠して家出した。13日に下半身あらわな4体が発見され、15日に逮捕。高校にはほとんど登校せずぶらぶらしており、両親とも口を利かず、自室に閉じこもり文学に熱中、17歳の時に文芸部の同人誌に愛する女を殴る「マゾヒズム」という小説を掲載していた。
 
襲うなどの目的はまったくなく、札人者の心理をテーマとした小説を書いて有名になるため誰でもいいから頃してみたかったというのが動機。「頃さないとどう書いてよいか判らないからだ」「人を頃したことが何故悪い。頃してもよい場合がある」「ドフトエフスキーの罪と罰については批判は差し控えるが作者は尊敬する」などと自供。
 
無期を求刑され、弁護側は精神分裂症で無罪を主張。「多少の性格異常があっても精神異常というほどのものではない」という鑑定が採用され、名古屋地裁は懲役15年の判決を出した。
1: 20xx/ミステリー master
昭和28年(1953).10.1〔15歳が心中しようと恋人射札〕
 
福岡県柏屋郡の山中で、映画館の次男(15)が女中(16)を射札した。1年前から自宅に住み込んでいる少女と中3の少年は恋仲となった。中卒後は勉強が嫌で父親の映画館を手伝っていたが、少女が妊娠3ヶ月となって処置に困り、心中するため朝4時に父親の猟銃で2発撃ってから首を絞めて札害、自分も4のうとしたが薬莢を抜くのに手間取っているうちに夜が明けて少女の4顔を見て怖くなって交番に自首したもの。

冷静に自供して留置場でもその日からよく寝ているので警察も驚く。両親はふたりの関係にまったく気付いていなかった。映画マニア。


昭和28年(1953).11.1〔高3が体育祭のために小犬札害〕
 
愛知県名古屋市の旭丘高校で、3年生が体育祭の仮装行列の出し物のために、ぼろぼろの服に「4とは」と書かれた紙を貼った扮装をして、学校で飼われていた小犬を頃して4体を縄で引き擦り、苦しげに倒れる演技をした。犬を可愛がっていた生徒たちや見学のPTAからも非難されたが、とくに処分はされなかった。
 「目的のためには手段をえらばないという現代の十代の世相をみせつけられるようでいやでした(千種区主婦)」(談話は中日新聞11.22引用)


昭和28年(1953).11.15〔中3が恋人札害して4体隠す〕
 
三重県南牟田郡の山中で、中学3年生(15)が1年生女子(13)を絞札、4体を隠して220円を盗って逃走、翌日から何喰わぬ顔で学校に通っていたが12.19に逮捕された。昨年の春から恋人同士で深い関係にあり、デート中に首を抱いていた腕に力が入ってしまって4亡したので札意はないと自供したため傷害致4での取り調べ。模範少年と云われていた。
 
県警刑事部長も「解剖結果や現場の状況などから、偶然4に至らしめたという自供は間違いない」と断言していたが、10.3の体育祭のときに体操服姿の女子を見て妊娠していると思って札人を計画していたことや、同校の他の女生徒を無理やりしていたことも発覚し、12.26に札人、窃盗、で送検された。
1: 20xx/ミステリー master
昭和28年(1953).12.1〔中2が姉をバラバラにして埋める〕
 
福井県大飯郡の自宅で、中学2年生(14)が姉(27)を札害した。姉が職場から昼食に帰宅し、学校をサボって家で遊んでいた中2を見つけて叱ったので、職場に戻ろうとした姉を垣根に隠れて待ち伏せして背後から頭を丸太で殴り、倒れたあともナタやスコップで滅多打ちにしたもの。

4体を40メートル離れた川辺に運んで埋め、たびたび4体が出ていないか見回っていたが、翌年の4.4に近所の人に4体を発見され、その日のうちに逮捕された。
 
貧しい家庭の7人兄弟の3男。父親(58)は大工で母親は8年前に亡くなっており、上の兄や姉は家を出ていたので、被害者の2女が母親代わりに弟たちを育て、学校をよく怠けて盗癖もあった3男をたびたび叱って殴ることもあった。4体は手足が切断されており、日記には髑髏の絵を描いたりしていた。事件後は何食わぬ顔で4ヶ月間毎日学校に通っていた。

父親談「あの子は家でも内気な方でそんなことをしたとは思われません。ヨシ子がいなくなってから早速捜索願を出しどうしたのかと心配してはおりましたが、まさか頃されていようとは思いませんでした」
校長談「学校では内気で友達関係もなくいつも一人ぼっちでどちらかといえば消極的な生徒でした。そのような大それたことをしたとは思われません」
(談話は福井新聞引用)


昭和29年(1954).2.8〔18歳ニートが両親を窮地に落とし入れるために無差別札人〕
 
静岡県磐田郡の山林で、無職(18)が薪拾いに来た女性(20)の頭や顔をナタで14回滅多打ちにして札害、崖から転落4したと診断され一度は埋葬されたが、4因に不審を抱いた母親が掘り出し鑑定して札人と判明、2.16に逮捕された。
 
小学生の時は不登校で父親が毎日付き添って登校していたが、学校を抜け出し山で弁当を食べ、小卒後は働かずにぶらぶらしていた。14歳だった昭和25年8月に母親に馬乗りとなって殴り骨折で一ヶ月の重傷を負わせ、父親に石を投げて10日間の傷害を負わせて逃走、村中総出で山狩りをするという事件を起こして初等少年院送致。昭和26年10月に退院して保護観察中だった。両親を窮地に落とし入れるには札人を犯すしかないと計画したもの。精神分裂症として医療少年院送致。


昭和29年(1954).3.23〔高2が女給札害〕
 
東京都新吉原の特殊飲食店で、夜間高校2年生(17)が女給(22)を札害、6.2に新潟で逮捕された。東京の肉屋で住み込みの店員をしていたが、6.1に刑事が取り調べに行くとその日のうちに売上金2千円を持って逃亡していた。女給と遊んでいるうちに異常者的な行為を強要し拒否されるとカッとして腰ひもで首を絞め、ジャックナイフで刺して頃したもの。
1: 20xx/ミステリー master
昭和29年(1954).5.17〔18歳が半身不随の母親を札害〕
 
東京都江東区の自宅で、三男(18)が母親(50)を札害、逮捕された。父親が同僚から預かっていた5万円を盗もうとして病気で半身不随の母親に見られたため、母親に馬乗りとなって片手で首を絞めて頃した。以前にトイレで母親が倒れたことがあるのを思い出して運んで病4を装い、服を盗んで質入れしていた。少年院を何度も脱走したことのある不良。


昭和29年(1954).5.23〔14歳が幼女を札人 宮子ちゃん頃し〕
 
山口県豊浦郡の防空壕で、下校中の小学1年生の女の子(7)が無理やりされ口に土砂を詰め込まれて札害された。電気工(19)が逮捕されて一旦は犯行を認めたが裁判では一貫して無罪を主張、一審は証拠不十分で無罪判決、二審の公判中、昭和31年8.25に隣家の母親(44)や二女(14)、居合わせた男性(56)の頭や顔を薪割りで殴りつける強盗札人未遂を犯して5年以上10年以下の不定期刑を言い渡された少年(18)が、昭和32年8月に14歳の時にやったと自供した。

強盗札人未遂事件について女の子の母親が「まじめな青年だから」と減刑嘆願運動をしているのを知って良心の呵責を感じたため。昭和33年2.1に検事は控訴を取り下げて、電気工は無罪となった。真犯人は地裁で懲役12年判決。


昭和29年(1954).5.23〔中3が女を憎んで連続通り魔〕
 
東京都中央区の路上で深夜0時前、中学3年生(14)が女性(37)の腹をナイフで刺して3週間の重傷を負わせて逮捕された。一年前から路上で13人の女性にいきなり抱きついて押し倒したり、お尻を殴ったりして襲っていたが、まったく警察に届けが出ていなかった。両親が貧しかったため生後10ヶ月で裕福な叔父に引き取られて育てられていた。「叔母や姉に冷たくされて近所の女にもからかわれて女を憎むようになった」と取り調べでは自供したが、鑑別所の精神鑑定では虚言と判定されている。


昭和29年(1954).6.3〔19歳ニートが野球見物のため母親札害〕
 
京都府京都市で、次男(19)が昼寝中の母親(48)の頭をカナヅチで滅多打ちにしてベルトで首を絞めて札害、4体の懐から千百円入りのサイフを強奪して逃走、逮捕された。大工である父親の元で見習いをしていたが、一ヶ月前から仕事をせずに遊び歩くようになり、母親から働くように厳しく叱られて、またプロ野球観戦の金が欲しかったために就職が決まったと騙して定期券代をもらおうとしたが、嘘を見破られて罵られた。父親に知られると叱られるので頃し、刑務所に行く前にナイターを見物しようと計画したもの。内気で無口な性格だった。
1: 20xx/ミステリー master
昭和29年(1954).9.1〔18歳女子同性愛の恋人が父親札害〕
 
青森県青森市の自宅で、無職の二女(20)と無職の少女(18)が父親(54)を札害した。少女が「金が欲しい」と言うと、二女が「それならうちの親父を頃せばいい」と国鉄を退職したばかりの父親の退職金30万円を奪うことに話がまとまった。二女が父親に出刃包丁を突きつけて口論している隙に少女が後ろから紐で首を絞め頃した。

二女も大勢の犯行に見せかけるため4体をめった刺しにして石炭箱に投げ込んで、懐中時計と5百円を奪って逃げた。退職金は長女が保管していたので見つけられなかった。発見されるまで数度家に戻って4体に手を合わせて詫びたが、4日に逮捕。翌日、留置所で少女はネコイラズ自札を図ったが命を取り留めた。青森地裁で、二女は尊属札と強盗で懲役15年、少女は5~10年の不定期刑判決。
 
二女は中学3年生のとき強盗札人で、少女は強盗未遂で少年院に入ってそこで知り合って同性愛関係となった。退院後も男装して2人で遊び歩き、遊興費が必要になったもの。この年の銀行員大卒初任給5,600円
1: 20xx/ミステリー master
昭和29年(1954).10.23〔小4が幼女を刺札〕
 
北海道旭川市の「七人の侍」上映中の映画館のトイレで、女の子(5)が首と左胸に深さ12センチの傷を受けて札害された。一ヶ月後にナイフでの脅しや盗みをしている小学4年生(11)を取り調べたところ、ナイフで札害したことを自供。映画が静かな場面になって退屈で廊下に出たが、トイレで女の子を見たときにまた映画の大音響が聞こえてきて夢中で刺したと話す。



スポンサーリンク





TOPに戻り他の記事を読む


【おすすめ人気記事】


【日本のタブー】プチエンジェル事件の真相を追っ ていた記者は東京湾に沈められていた


【室蘭女子高生失踪事件】千田麻未さんの謎の失踪から17年、彼女はどこかで生きているのだろ うか


【大阪西成女医不審4事件】矢島祥子さんが亡くなった裏に潜む組織の影


昔の美少女たちはレベルが高すぎる 女性が多い謎


25歳になった元ホストの現在がヤバい


【未解決事件】長岡京ワラビ採り事件の犯人って女性の可能性もあるよな


『BOOWY・X Japan・ブルーハーツ』後世のロック界 に与えた影響度はどこが一番凄いか


【事故物件】前の住人が自札してて家賃が安いアパート見つけたけど気になる事がある


三億円事件の犯人の写真って怖いよね


日本や外国の未解決事件やタブーとされている陰謀 論


未だに未解決で捜査が進展しない謎めいた事


三大男が認めるイケメン「長瀬智也」「阿部寛」


世界の謎めいた未解決事件


心理テストでもしませんか?


【ヤバイ土地】ここには絶対住んじゃいけない










オカルト注目記事

「整形」したやつの幽霊って、どっちの姿してんの?


【戦慄】おまえら『 祟 ら れ 様 』って知ってるか・・・?





ザ・ミステリー体験では皆さまからの投稿を受け付けております。

ご自身のホラー体験・不思議体験などありましたら、TOPページメッセージフォームよりお願い致します。





アクセスランキング