1: 20xx/ミステリー master-
おっさんと出会ってから半年以上が経っていた。
相変わらずおっさんの正体は分からない。
どこの誰なのか?仕事はしているのか?
妻や子供はいるのか?そもそも人間なのか?
聞きたいことが山ほどあった。
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おっさんは「僕のことは知らないほうがいい」と言っていたが、少しくらいなら教えてくれてもいいのに…。
そう思ってた。
話が飛んでしまって申し訳ないが、僕は母方の叔父のところにお世話になっている。 僕の両親が交通事故で4んでしまったからだ。
葬儀の後に親戚みんなで集まり、誰が僕の面倒を見るか?それを決めるために話し合った。 そのとき、なぜか父方の親戚は集まりが悪かったらしい。
聞けば、不慮の事故や病気で、次々と4んでしまっているそうな…。
一応集まるには集まるんだが、寝たきりの祖母を抱える祖父だったり、精神病の子供がいる伯父だったりと、 とても養子を育てる余裕なんかない人たちだった。
そんなわけで、母方の叔父が僕をもらい受けることとなったのだ。
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今でこそ僕に冷たい叔父だが、最初のころは本当に優しかった。
まるで別人かと思うくらい。
休日には必ずどこかに連れてってくれたし、欲しかったおもちゃだって、すぐ買ってくれた。 じゃあいつから叔父と僕は、こんなに冷め切った関係になってしまったのか?
原因は僕にある。
僕が叔父に全然なつかなかったから…。
叔父は他人の子供にもかかわらず、まるで実の子供のように僕をかわいがってくれた。 しかし、わけも分からないまま叔父の家にいきなり連れて来られ、大好きだった両親にも会えない僕は、 いつも泣き叫んでばかり。
真夜中に突然泣き始めて、寝ていた叔父を起こすこともしばしばあった。
「ねぇ、お母さんは?お父さんはどこ?会わせてよ、おじちゃん!どこにいるの?ねぇ…」
腫れた目をこすりながら、嗚咽交じりで叔父にすがりつく僕。
「お母さんとお父さんはね、どこか遠いところに行っちゃったんだよ」
「嘘だ!おじちゃんの嘘つき!お母さんとお父さんを返せ!」
そして大声を上げてまた泣き出す。頭をおさえて黙り込んでしまう叔父。
そうやって日数を重ねるうちに、僕は叔父にまったく心を開かなくなっていた。
また、叔父を悪者だと思い込み、ついには叔父が両親を頃した人頃しと勝手に決め付けさえした。
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そして事件が起きる。
独身だった叔父には交際相手がいた。
自分はあの子に嫌われている。あの子は愛情に飢えている。
このままだとあの子はダメになってしまうだろう。
あの子には愛情が必要だ。母親がいればきっと変われるはず。 そう叔父は考えていた。そして結婚を決意する。
「(僕の名前を呼んで)この人が新しい母親だよ」
叔父は、交際相手を僕に紹介した。
だが荒みきっていた僕には、その人を母親と思うことが出来なかった。
うらめしそうに睨み付ける。
「4ね」 その瞬間、叔父のビンタが飛んできた。泣き出す僕。
「なんてこと言うんだ!」
と僕をしかりつける叔父に、僕はひたすら「人頃し!」と叫び続けた。
それからだ。叔父が僕に冷たくなったのは…。
今でも叔父は独身である。
あの事件がきっかけで、交際相手とは別れてしまったらしい。
叔父は仕事がいそがしいのか、めったに家に帰ってこなかった。 僕には、叔父の家が広すぎた。
友達の家でご馳走になった時、家族団欒の光景を見て、泣いてしまったことがある。 リビングにはロボットの形をした小物入れがあって、お金が入れてある。
そのお金で、スーパーでお惣菜を買ったり、外食したりしていた。
僕にはそれが当たり前の日常だった。ずっとそうやってきた。
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一人で朝食を済ませ、学校に行くための仕度をする。
玄関の戸を閉めると「よぉ」と呼ばれたので、振り返るとおっさんがいた。
一ヶ月ぶりである。
何にもないときに現れるのは初めてだった。
「元気ないな。どうしたんだ?」
おっさんは心配そうだ。 僕は最初こそ黙っていたが、あまりにもおっさんがしつこく聞くので、 今まで叔父と自分にあったことを思わず話してしまった。
話している間、おっさんはずっと黙ったまま僕の話を聞いてくれてた。
全部話し切ると、胸のつっかえが取れたような感じがした。
おっさんはずっと下を向いて考え込んでいる。
「おじさんってさ。家族いるの?」 僕は聞いてみた。
するとおっさんは顔を上げ、ニコッと笑うと「いるよ」って答えてくれた。
絶対に独身だと思っていたから、すごい意外だった。
僕が学校に向かうと、おっさんも付いてきた。
サングラスに黒スーツという、誰もが目を止めてしまう格好だったので、 さすがに一緒に歩くのは勘弁して欲しかった。
周りにどんな目で見られるか分かったもんじゃない。 しかし、すれ違う人は、まったくおっさんに気付かない様子だった。
不思議だ。
たまに散歩中の犬が威嚇するくらいで、みんな気にも留めてない感じだった。
他の人には見えてないのだろうか?
「おじさんって幽霊なの?」 思わず聞いてみる。
「幽霊か人間かって言われれば人間だよ」
「どういうこと?」
「人間が生むのは人間だけじゃないってことさ。」
言ってる意味が分からないので首をかしげる僕。
それを見ておっさんは笑う。
「つまり式神だよ」
おい。またそのパターンかよ。
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おっさんは腕時計を見ると、「まずい。そろそろ行かなきゃ」と言い残し、いきなり走り出した。
呼び止める暇もなく、ひょいっと路地の角に消えてしまう。
僕はあわてて後を追い、角を曲がったが、そこにはもうおっさんはいなかった。
隠れてそうな場所を探すが、見つからず。 僕はゆっくり息を吐きながら、今の出来事を何気なく思い返してみる。
頭をポリポリとかきながらふけっていると、あることに気付いてしまった。 いや、正確に言うと、気付いているのに気付かないふりをしていた。
たった三回しか会っていないのに…。
明らかに不審者なのに…。
なのになぜ僕は、『おっさんがお父さんだったらいいのに』なんて思ってるんだ?
いったいなぜ?
僕の気をひこうと必4だった叔父の苦労もむなしく、僕は決して叔父を『お父さん』と呼ぶことはなかった。
それなのに…。どうして?
あまりにも理不尽すぎる。
悶々とした気持ちのまま、僕は学校に向かった。
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週末のこと。
朝から夕方まで部活で、そのあと進学塾というスケジュールを何とかこなした僕は、 くったくたに疲れて、家に帰る途中だった。
もう季節はすっかり冬になっていて、吐く息も白い。乾燥した冷たい風に吹いている。 そのせいだろうか、喉が痛い。
そんな寒い夜の道を、月明かりが照らしていた。
「おい」
いきなり背後から声が聞こえたので内心ヒヤッとしたが、聞きなれた声だったので安心した。 おっさんが立っていた。 どうやら家まで送ってくれるそうだ。
一緒に歩きながら話していると喉から痰が出てきたので、道端にペッと吐いた。
「唾を吐くな」
ハッとしながらも、自分のやった行為を反省し、素直にすいませんとあやまる僕。
「天に唾を吐くようなもんだぞ。血ほどすごくはないが、唾だってかなりの力を秘めている。 下手にそこらじゅうに吐いてると、自分の顔に戻ってくるぞ」
そう言うとおっさんは、吸っていたタバコを指でピンとはねた。
「ねぇ、おじさん?」
「ん?」
「じゃあ…逆に聞くけど、タバコなら道に捨ててもいいの?」
「あ、いけね」
と言いながら、おっさんは捨てたばっかりのタバコを拾った。
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おっさんは、それからもごく稀ではあるが、僕に会いに来てくれた。
正体は相変わらず謎のままだったが、それでも分かることは多々あった。
まず、おっさんには決まって数分に一回のペースで、時間を見る癖がある。
そして時間になると、いつもそそくさと走り去ってしまうのだ。
おっさんは僕の生い立ちをはじめ、あらゆることを不気味なくらい知り尽くしていた。というより、知り過ぎていた。
たいていのことなら何でも答えてくれる。例えば、明後日の競馬のレースはこの馬が一着になるとか。 後日、見事に的中して、なんで中学生が馬券買えないんだと心底悔やんでたのを覚えている。
もっとも今は今で、もっといろんなことを聞いておけばよかったと後悔しているけれど。 ほとんど脅迫に近い感じで口止めされていたので、 あの当時はこのことを、こんな形で人に話すとは夢にも思ってみなかった。
だから、どうせ聞いても人に言えないんじゃ知る意味がないって思って、あまり質問しなかった。
質問するにしても、おっさんのことばかり。それが心残りだ。
「おじさんって仕事してるの?」
「してるよ。式神だからね」
愛情に飢えていた僕は、おっさんにベッタリだった。
友達と言うより父親みたいな存在。
おっさんも、そんな僕に照れてこそいるが、まんざらでもないようだ。
「ホントはね、何にもないときに、こうやって君に会っちゃいけないんだよ。上の決まりでさ」
上ってのは、式神を指揮する司令塔らしい。
正義の秘密結社でもあるのか?
詳しく聞こうとするも、「君を巻き込みたくない」との理由で教えてくれなかった。 おっさんにはいつも時間がなかった。
時間になると逃げるようにいなくなってしまう。
最初こそ追いかけてたが、路地を曲がったところで必ず消えてしまうので、もう追いかけることはしなかった。
おっさんは秒単位で動いているビジネスマンのように、しょっちゅう時間を気にしていた。 なんかいろいろとあるみたい。
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そんなある冬の出来事のこと。
その日の部活は雨が降って中止で、進学塾の授業もない。 冷え切った寂しい家に一人でいることが嫌な僕は、友達の家に遊びに行く。
友達は「親がいないお前がうらやましい」と言っていたが、僕だって「親がいるお前がうらやましい」と思っていた。
帰る時間になったので、いそいそと友達と別れを告げ、自分の家に戻る。 あたりは真っ暗。見えない恐怖におびえながら、いつの間にか僕は早歩きになっていた。
マセラティが向こうに見えた。
ものすごいスピードでやって来る。
このあたりでマセラティに乗っているのは、僕の知るところ一人しかいない。 やっぱりそうだ。乗っていたのは、おっさんだった。
あれ?マセラティは、止まることなく過ぎ去ってしまった。
気付いてなかったのかな?
疑問に感じるも、どうしようもない。
遅れて数秒後、大勢の人の泣き叫ぶような悲鳴やうめき声が聞こえ出した。
びっくりしてふと前方に目をやると、なにか得体の知れない真っ黒いものが見える。 マセラティの後を追うように、こっちに迫って来る。
じっと凝らして、それを見てみるとゾッとした。
それはたくさんの人影だった。
人影が道をびっちりと埋め尽くしている。
映画『ゴースト ニューヨークの幻』に出てくる、地獄の使者そのものだった。
その数たるやすごいもので、通り過ぎると同時に砂埃が舞い上がるほどだ。とてもじゃないが、数え切れない。
ミミズがうねうねと動いたような、そんなまがまがしいオーラをまとわりつけた人影は、 逃げられずに固まっている僕を飲み込み、何の危害を加えることもなく行ってしまった。
なんか知らないが助かった…。
腰が抜けてしまい、足に力が入らない。滝汗をかいていた。
文面じゃうまく伝わらないと思うが、あれは僕の呪いなんかより、もっとやばいものだと直感した。 次元そのものが違う、圧倒的な存在感を感じる。
ただ目撃しただけなのに、尋常じゃない恐ろしさだった…。
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それから数週間。
次におっさんを見たのは、体育のサッカーをやるために外に出たとき。
ふと何気なく空を見たら、はるか向こうの空におっさんが立っていた。
浮いている。
みんなに教えたかったけど、いかなることがあっても言ってはいけないと口止めされてたので (まあ、今こうして言っちゃってるわけだが)一人で眺めていた。
おっさんは、ここでも僕に気付いてない様子だ。
すると、そのおっさんにどす黒い雷雲が向かってくるのが見える。
例の人影たちだ。
おっさんを襲おうとしている。 バチン! おっさんの手が光ると、おなじみの爆竹音がこだました。 ズドン! 野球のボールをミットでキャッチするようなそんな音が、立て続けにすると同時に、雷雲が光りながら散った。
おっさんの攻撃が当たったのだろう。
とにかく、何がなんだか…よく分からない。
出来の悪い特撮映画でも見ているのだろうか? 雷雲は崩れてこそいたが、勢いを衰えることなく、そのままおっさんに襲いかかる。
ここでボールが僕のところに来たので、あわてて視線を足元に戻した。 やはり僕にしか見えていないのか?
あれほどの音がしたにもかかわらず、誰一人として気付いていない様子だ。
ボールを蹴り返し視線を空に戻すと、時すでに遅し。
おっさんも雷雲もいなかった。
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ようやくおっさんが僕に会いに来てくれたのは、それから数日後のこと。
早朝の朝練に行くために、身支度を整えて家から出ると、背後から声がする。
振り返ると、おっさんが立っていた。
ただいつもと違う。おっさんは、かなり疲れ切ってる様子だ。スーツもよれよれ。 どうにも会話が弾まない。
おっさんも無理して作り笑いをしているのが分かる。
帰ってしまう前に、あの人影について聞かなければ…。
「やばいな、長居しすぎた。早く行かないと」
そう言い残し、まさに帰るそのとき。意を決して僕は、おっさんに聞いてみた。
「おじさんを追いかける人影って何なの?」
おっさんは驚愕の表情の浮かべ振り返った。動揺を隠せない様子だ。
「見てたのか?」
こっくりと頷く。 見た内容を詳しく説明しようとしたが、「それ以上言うな」と一喝されて、黙るほか無かった。
おっさんは大きく、ゆっくりとため息をついた。 そして、そのまま押し黙ってしまうので、二人の間には無言の沈黙が流れる。
「あれって悪霊なの?」
「違う。そもそも君は、霊感がないから見えないだろ?あれはね、もっとやばいもんだ」
じゃあいったい何なんだ?聞いても、それ以上は教えてくれなかった。
「もう君とは会わないようにしよう」
いきなりおっさんが切り出す。
言わなきゃよかった。そう思った。
興味本位で聞いてしまったことを、すごい後悔した。
「大丈夫。何かあったときは、ちゃんと助けに行くよ」
そう言うとおっさんは、靴音を響かせながら歩き出した。 引き止めたかったが、ショックで喉が締め付けられたのか、声が出なかった。
ふいにあたりの気配が変わり始める。
おっさんがまさに向かおうとする先にある家の垣根が、風も無いのにざわざわと音を立て始めた。
キーンと耳鳴りがする。
「まずいな…。囲まれた」
そう呟きながら、あたりを見渡すおっさん。何も見えないけど、よからぬ何かの気配を肌で感じる。
「すまない、少し驚かすと思うが気にしないでくれ」
どういう意味か説明する間もなく、おっさんは呪文を唱えると、その場からふっと消えてしまった。 驚くよりむしろ僕は、突然いなくなる謎が解けたことで興奮していた。
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ただならぬ気配は、おっさんがいなくなった後もまだ残っている。
あたりの家々の塀の隙間から、真っ黒いスライムのようなものがはみ出て、
真夏のアスファルトの蒸気のごとく、ゆらゆらと景色を歪めていた。
それは何かするわけでもなく、ただそこに在るだけ。
とはいえ、気持ち悪いので足早にそこをあとにする。
幽霊が見えない僕が、なぜか見える人ならざるもの。 もしかして?僕の脳裏にあることがよぎった。
おっさんも呪われた一族の末裔なのか?
そう考えると、何もかも辻褄が合う。
なぜ僕のことや先祖のことを知っているのか?なぜ僕を助けるのか?
今までバラバラになったジグソーパズルが、ピシピシとはまっていく感覚。 鼻の頭をつまみながら、眉にしわを寄せ物思いにふける。
いくら勉強しても分からないことってあるんだな…。
そう思いつつ僕は、学校に足を向けた。
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もう冬が終わろうとしていた。
みんな暖かい春を心待ちにしている中で、僕だけは鬱な気分だった。 理由は簡単である。もうすぐ三ヶ月。
呪いがいつ来てもおかしくないからだ。
その鬱のせいで、バイオリズムが狂ったのだろう。
季節の変わり目という煽りも受けて、僕は見事に風邪をこじらせてしまった。 大人しく家で寝る羽目に。高熱でふらふらだ。
寒気が止まらない。
僕は、布団にくるまりながらも、なおガタガタと震えていた。
身体が衰弱しきっている。 叔父は一昨日から家には帰って来ていない。
冷凍食品を買いだめしておいてよかったと、心底ホッとした。
こんな身体じゃ、とてもじゃないが買出しなんか無理だ。 もしこんなとき母親がいれば、やっぱりお粥とか消化にいいものを作ってくれるのかな?
母親がどんな人なのか分からないまま育った僕は、そんなことを考えながら眠りに落ちた。
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気付いたら僕は、学校の教室にたった一人で佇んでいた。
なぜか二年の教室ではなく、三年の教室にいた。
僕はいったい何でここにいるんだ?
そんな疑問はすぐに絶望へと変わった。
そこが音の無い世界だったからだ。僕の大嫌いな世界…。
くらっと眩暈がした。呼吸が、どんどんと荒くなる。
とうとうこの日が来た。
僕は完全にその場に固まってしまった。目だけ動かすかたちで周りを見る。 教室の蛍光灯は、片っ端から粉々にされていた。 かろうじて教壇の上にある一本の蛍光灯だけが、弱々しい光を放っている。 黒板の上に掛けられた時計も、ガラスの部分がバキバキに割られ、中の針は握りつぶされたように丸まっていた。
教室の窓ガラスも何者かによって全て割られて、なんとも無残な有様だった。 その窓の外は、何も見えない漆黒の闇である。
見るだけで吸い込まれそうな暗黒地獄が、教室の外に広がっていた。 風もないのにカーテンが、『こっちにおいで』と手招きするがごとくゆらゆらとなびいている。
あまりの異様な光景に絶句してしまった。
ギュイーン ギュオーン ギュワーン ギュオーン いきなり無機質なチャイムがしたので、身体がビクッと反応し机にぶつかった。
音程が外れ、ねじって歪めたような音。
それが学校中に鳴り響いた。
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『おえああ、あいおあいえあう(これから、狩りを始めます)』
滑舌が悪い校内アナウンスが流れる。明らかに人間の声じゃない。
やばいやばいやばいやばい… もう完全に頭の中がパニックだった。
汗が、ポタポタと床に落ちる。おっさんは一向に現れる気配がない。
時間にしておよそ数分。
自分には何十時間にも感じられた。 ふいに人の足音が聞こえた。それに混じって、男と女の言い争う声。
どんどんこっちに向かってきているのが分かった。
おっさんなのか?それとも…。
人の声ではあるが、明らかに二人いる。逃げようにも、すぐそこまで声が迫っていた。 心臓が爆発しそうだ。
そして…
「あ、いたいた。やっと見つけた」 おっさんが廊下から教室を覗き込んでいた。
「二年の教室にいないから、探すのに苦労したよ」
肩の力が抜けるのが分かった。思わず安堵のため息が出る。久しぶりに見るおっさん。
「もう君とは会わないようにしよう」
と言われて以来、全く会っていなかったので、懐かしかった。
「探すのに苦労したのはこっちの台詞よ」と女性の声。
おっさんの背後に、その声の主と思わしき人が見えた。 すらっとした身体に、パリパリの黒い肌着、そして黒いライダースジャケット。
肩までかかるさらさらの髪。 蛍光灯の明かりが廊下まで届かないので、顔までは見えなかった。
「あんたさ、ケータイくらい持って行ったらどうなの?」
その人が、おっさんに怒鳴っている。
「使い方が分かんねぇんだよ」
おっさんはそう言いながら、僕のもとにやって来た。 間近で見るおっさんは、実に頼りなさそうだった。
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頬はこけて髪が乱れている。無精髭もうっすら生えていた。声もどこかしら元気がない。
「君に紹介するよ。あの人は俺の仕事仲間でね。名前は『ハル』さんだ」
そのハルさんと言われる人も、教室に入って来た。
「君が○○(僕の名前)クンね?話は聞いているわ」
若い女性だった。見た目は20代後半くらい。顔は、芸能人に例えるなら夏目雅子に似ている。 今のおっさんとは対照的で、すごくきれいな人だ。
ハルさんは、挨拶がてら僕にいろいろと話してくれた。 まず、おっさんがよく使っている爆竹の音がする技。 あれは、たいていの相手であれば、一撃で葬れるほど強力なものだそうだ。まさに一撃必殺の技。
足止めにしかならないものだと思っていたので、すごいびっくりした。
「強力だけど、術者の身を滅ぼす危険もあるわ」とハルさんは言う。
そんなのを二発食らっても4なない呪い。つまり、それだけ呪いも強いわけで。
そんなおっさんをサポートするために、新たにハルさんが加わったそうだ。
「よろしくね」 ハルさんが、僕に微笑んだ。
『いうう、おういんいうあえいえうああい(至急、職員室まで来てください)』
また校内アナウンスが入る。
「どうする?行く?」 おっさんが、笑いながらハルさんに聞いた。 「馬鹿じゃないの?4にに行くつもり?」
「冗談だよ。さすがに、こんな身体じゃ今日は無理」
「あんたの冗談は、冗談に聞こえないわ」
おっさんとハルさんって夫婦なのか? 二人が話している間、僕が会話に入り込める余地は全く無かった。
完全に、受け身の状態である。
僕は複雑な気持ちだった。おっさんを取られたような気がして、ハルさんにちょっと嫉妬してしまった。
「とにかく、奴が仕掛けてくる前にここを出よう」と、おっさん。
「そうね」と、ハルさんも頷く
- 1: 20xx/ミステリー master
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おっさんとハルさんは机や椅子をどけ、出来たスペースの真ん中に僕を立たせた。
その僕を挟むようなかたちで二人が立つ。僕の前方にハルさん、背後におっさんという感じ。
「これやると、4ぬほど疲れるから嫌なんだよなぁ」
背後から、だるそうに呟くおっさんの声が聞こえた。
「あんたがケータイ持って来ないから、これやる羽目になったんでしょうが」
ハルさんもだるそうに言う。何か始める気らしい。
「そこから絶対に離れないでね」
そう言うと、ハルさんは静かに目を閉じた。 後ろにいて見えないが、おっさんも同じように目をつぶったのだろう。 これから何が起こるのか全くわけが分からないまま、事の成り行きを見ている僕。
ハルさんは精神統一しているのか、目をつぶったままだ。 しばらくそのままの状態が続くと、ふいに僕の視界が揺らぎ始めた。
電子機器が唸るようなノイズが、耳元で聞こえる。
同時に、自分の意識が身体から離れるような、不思議な感覚を味わった。
自分の存在がそこから消えるような、そんな感覚。
目に映るものが、どんどん真っ白になっていく。
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僕は起きた。
目に映るのは、僕の部屋の天井と、シーリングライト。
夢だったのか?起き上がろうとするが、身体が思うように動かせない。
そういえば、風邪で動けないんだった。
ワンテンポ遅れて把握する。 僕はもう元の世界に戻っていた。 あの世界とは違い、僕の部屋にある目覚まし時計が、 一秒ごとにカチカチと規則正しく音を立てながら、針を動かしていた。 あまりのあっけなさに、自然と笑いがこみあげる。 今回、呪いがした事といえば、不気味なチャイムと校内アナウンスくらいだ。
目を勉強机の方にやると、椅子の背中にもたれかかって、おっさんがだらしなく座っている。 僕が起きたことに気付き、おっさんはニコっと微笑んだ。 ハルさんが見当たらない。
「ハルさんは?」
「あぁ、あいつか。風邪をひいてる君に、何か作ってあげようってことで、買い物に行ったよ」
途切れ途切れの息でおっさんが答えた。疲労困憊しているのが伺える。
「とにかく化け物だよ、あいつは…。俺なんかこんななのに、すました顔して出て行きやがった」 おっさんは、悔しそうだ。
「おじさんとハルさんってどういう関係なの?」 僕は聞いた。
「俺の仕事仲間。一番腕が立つ」
「おじさんの妻?」 笑いながらおっさんは否定した。
「あんなのが女房なんて4んでもごめんだね。ああ見えて俺より歳食ってんだぜ」
え?
僕は思考がストップしてしまった。
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「ま、正確な歳は俺も知らないけどな。でも60は裕に超えてるよ」
ハルさんに少し惚れていた僕にとっては、とんでもない衝撃だった。 思考は停止していたが、聞いてはいけないものを聞いてしまったというのだけは分かる。
ニヤニヤしながらおっさんは身体を起こすと、僕の布団をかけなおしてくれた。
「君を見ているとね。我が子を思い出すよ」
そう言いながら、どこか懐かしそうな目で僕を見ている。僕と同じくらいの歳の息子が一人いるらしい。
「ちゃんと家族に会ってる?」 心配になって聞いてみた。
おっさんは首を横に振る。
「もうね、会えない」
離婚して会わせてくれないのか?もしくは、仕事のために家族を捨てたから、家族に会わす顔がないとか? この人のことだから、家族をないがしろにしていても、別におかしくないかも。
頭の中で僕は、会えない原因を推理していた。
「君も知ってるだろ?俺が呪われているのを」
「え?」
「気付いた時にはね、もう手遅れだった。それでもあきらめずに頑張ったよ。 それこそ、当時は若かったし、今より力もあった。でも…助けられなかった」
僕の推理は見事に外れた。
おっさんの家族は頃されたのだ。それも自分の呪いに…。
「俺が頃したも同然さ」
そう言うとおっさんは、下唇を噛んだまま黙り込んでしまった。
自分を責めているようだ。
涙こそ見せなかったが、僕はそこにおっさんの家族を想う深い愛を、確かに感じることが出来た。
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「たっだいま~」
重苦しい空気の中、何も知らないハルさんが帰ってきた。そして僕の部屋に戻ってくる。 それを合図にするように、おっさんは腕時計に目をやる。
「悪いな。俺はもう行かなきゃ。ハル、後はまかせたぞ」
「分かった」とハルさん。
そしておっさんは、また呪文のようなものをつぶやくと、瞬時に消えてしまった。 部屋には俺とハルさんの二人だけとなった。
「君、お腹空いてる?」
もちろんお腹はペコペコだったけど、ハルさんと二人だけで食事をするのは気まずかったので、 「ううん」と答える僕。
「あら、そう。じゃあ、料理だけ作っておくわ。ちょっとキッチン借りるね」
そう言うと、ハルさんはキッチンの方へ行ってしまった。 進学塾の定期試験が近いので、その間に勉強しようと思ったけど、 意識が朦朧としているので、内容が頭に入りそうにもないのでやめた。
何もせず、天井をじっと眺めながら待つこと数十分。ハルさんが、戻ってくる。
「テーブルの上に作ったのが置いてあるわ。ちゃんと食べなね」
声も無しに、ただ頷く僕。
「じゃあ、私もそろそろ行くね」
そう言うとハルさんは、おっさんと同じようにその場からふっと消えてしまった。 部屋には僕一人だけとなった。 だるい身体を引きずりながら、僕はリビングに向かう。 テーブルの上に書置きが置いてあった。
『早くよくなってね。ハル』と書いてある。
その横にラップがされたお椀。
まだ温かいので、蒸気で白く曇っている。
中身が見えない。僕はラップを取った。
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卵粥だった。
それを口にする。
うまい。おふくろの味ってやつ?とにかくうまかった。
せっかく僕のために作ってくれたのに…。
ハルさんは、僕がどんな顔して食べるのか見たかったのでは?
そう考えると、すごくハルさんに申し訳ない気がした。
次の日、嘘のように風邪が治っていた。
薬の効き目なのか?それとも卵粥のおかげなのか?それは分からない。
身体が軽い。鬱だった気分も晴れ晴れとしていた。 実に気持ちいい朝である。
支度を整えると、軽快な足取りで僕は学校へと向かったのだった。
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